トライアスロン(Triathlon)とは?
トライアスロンのルールとは?
Triathlonとはギリシャ語で「3」を意味するtriと「競技」を意味するathlonの造語で、スイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)の3種目を連続で実施する競技です。
各種目の内容とは、スイム1.5キロ・バイク40キロ・ラン10キロ(トータル51.5キロ)で、オリンピックのトップレベルの選手になると、男子は1時間45分、女子は2時間ほどでフィニッシュしています。
トライアスロンの競技人口は増加している
トライアスロンの歴史はまだ浅く比較的新しいスポーツですが、あっという間に人気が広まり、今では知らない人がいないほどのメジャースポーツになりました。
最近では東京マラソンをきっかけとした歴史的なランニングブーム以降、マラソンからトライアスロンへ移行する人などによって競技人口は増加傾向にあります。ランニングにスイムとバイクが加わった、過酷な競技として知られるトライアスロンとは、一体どんな歴史を持っているのか、詳しく見ていきましょう。
世界のトライアスロンの歴史を深堀り!
トライアスロンの歴史の幕開け
トライアスロンの歴史は1974年にの幕を開けます。アメリカのカリフォルニア州サンディエゴで「Mission Bay Triathlon(ミッションベイ・トライアスロン)」と呼ばれるイベントが開かれ、46人が参加しました。
そのイベントの内容とは、ラン4.5キロ、バイク8キロ、スイム0.4キロ、ラン3.2キロ、スイム0.4キロの3種目を連続で行うというものでした。バイクのあとにスイムとランの2種目を連続で行う、かなりハードな競技ですね。
Ironman Triathlon の誕生
トライアスロンの歴史を語る上で欠かせない大会として、1978年ハワイオアフ島で開催されたIronman Triathlon(アイアンマントライアスロン)があります。
この大会は軍人たちが宴会の席で、当時人気のあった水泳、自転車、ランニングで最も厳しいのはどれか?という話から、生まれました。鉄人レースの異名を持つIronman Triathlonの歴史とは、実は宴会から始まったのです。
Ironman Triathlon からアイアンマン世界選手権へ
ハワイのIronman Triathlon(スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ)は、現在まで引き継がれアイアンマン世界選手権(Ironman World Championship)となりました。
アイアンマン世界選手権は1981年からはハワイ島カイルア・コナで行われ、通称KONAとも呼ばれています。この頃からメディアで話題に上ることが多くなり、トライアスロンの人気が広まっていきました。
国際基準「Short Distance」の制定
トライアスロン人気が高まる一方、距離が長すぎて参加者が限られるとの問題点がありました。そこで1982年米国トライアスロンシリーズで、従来よりも距離を短くしたShort Distance(スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ)を採用します。
すると参加者が急増し、トライアスロンが世界中で注目されるようになりました。このShort Distanceがのちにオリンピックで採用され、Olympic Distanceとなります。
国際トライアスロン連合(ITU)の設立
トライアスロンの国際化を背景として、1989年歴史上初となる国際競技連盟「国際トライアスロン連合(ITU)」が設置されます。そして同年フランスのアビニオンで第1回ITU世界選手権大会(ITU Triathlon World Championships)が開催されました。
国際トライアスロン連合(ITU)は、2020年「ワールド・トライアスロン(World Triathlon)」と名称を変更し、新たにスイスに本部を設置しています。
トライアスロン関連競技の誕生
トライアスロンの歴史の変遷の中で距離やルールの変更が行われ、ウインタートライアスロン(雪上ラン・バイク・クロスカントリースキー)やアクアスロン(スイム、ラン)など、トライアスロンに関連した新たな競技も誕生しました。
歴史上類をみない過酷なレースと言われていたトライアスロンが、現在ではより親しみやすいスポーツとなっていることも人々を惹きつける魅力となっているのでしょう。
日本のトライアスロンの歴史を深堀り!
歴史上初!日本のトライアスロン大会
歴史上初の日本のトライアスロンとは、1981年鳥取県の皆生温泉で開催された大会です。皆生温泉の青年部メンバーらが、皆生温泉開発60周年を記念して日本初となるイベントを企画することになりました。
そして、皆生温泉の美しい海と健康をPRするイベントとして考えたものがトライアスロンだったのです。さっそく皆生トライアスロン準備委員会が発足し、開催に向けて立ち上がります。ここから歴史上初となるトライアスロン大会開催への道のりが始まったのです。
日本初のトライアスロン大会開催までの試練
大会開催が決定しても日本にはまだトライアスロンをしたことがなく、情報が少ないため準備が難航しました。そこでメンバーらは、1982年のIronman Triathlonの日本初の参加者、永谷誠一氏と堤貞一郎氏を訪ねます。
両氏からアドバイスを受け、さらにIronman Triathlonのマニュアルを翻訳して、大会開催の準備を進めました。コースの検討は数十回に及び、数々の試練を乗り越えて日本の歴史上初となるトライアスロン大会が開催されたのです。
大成功を収めた歴史的な大会
運営スタッフ、ボランティアの支援のもと、皆生大会は無事開催されました。距離はスイム2.5キロ、バイク63.2キロ、ラン36.5キロとなり、女性2名を含む53名の参加者のうち、49名が完走!
優勝は高石ともや選手と下津紀代志選手の二人が並んで手を取り合ってゴールしたため、初代王者は2人となりました。皆生大会は、日本初のトライアスロン大会として歴史的な成功を収めたのです。
日本初のトライアスロン大会のその後
こうして日本初のトライアスロン大会が無事に実行されましたが、当初は皆生温泉の記念事業として1回限りのイベントの予定でした。しかし選手らの強い要望により翌年も開催されると、参加者が倍増します。
その後も年々参加者が増え、ルールを改良しながら現在まで続き、名称は全日本皆生トライアスロン大会となりました。距離も延長され、スイム3キロ、バイク140キロ、ラン42.195キロと、本場ハワイのIronman Triathlonに近づいてきています。
日本初のトライアスロン大会の歴史を刻む碑
皆生温泉には、日本初のトライアスロン大会の歴史を刻んだ「皆生トライアスロンの碑」が建立されました。この記念碑には、日本のトライアスロンの歴史に残る53名のトライアスリートの名前が刻まれています。
皆生温泉を訪れた際には、ぜひ日本のトライアスロンの立役者たちが歩んだ歴史に思いを馳せながら皆生の海を眺めてみてください。
第一次トライアスロンブームの始まり
皆生でのトライアスロン大会が歴史的成功を収めると、1985年第一回全日本トライアスロン宮古島大会が開催されます。241名が参加した宮古島大会はイベント・ビジネスとしても盛り上がり、NHKで全国に生中継されました。
滋賀県びわ湖ではアイアンマンジャパン、熊本県天草では日本初のOlympic Distanceの大会が開かれるなど、1985年は歴史に残る空前のトライアスロンブームの始まりの年と言われています。
バブル経済の影響も?
第一次トライアスロンブームが起きた歴史的背景には、1980年代の日本のバブル経済の影響もあります。好景気によって多くの大会が次々と開催され、トライアスリート達も海外で開かれる大会にチャレンジしていきました。
宮古島大会に大手のスポンサーがつき、数々のマスメディアに取り上げられたのも日本経済がバブルの絶頂を迎えていたことがその理由のひとつでしょう。
日本トライアスロン連合 (JTU) の設立
国内のトライアスロン人気が高まる中、1994年には日本全国の組織や団体を統合した日本トライアスロン連合(JTU) が設立されます。日本トライアスロン連合は日本体育協会や日本オリンピック委員会にも加盟し、トライアスロンの認知度を広げていきました。
2016年の岩手国体では国体の歴史上初めて正式競技として採用され、一般国民からも注目を集めるようになります。
歴史上初の日本人メダリスト!
歴史上初となる日本人メダリストが誕生したのが、1998年に新潟県佐渡で開催されたITU世界ロングディスタンストライアスロン選手権です。女子の部で志垣めぐみ選手が3位という歴史的快挙を成し遂げました。
この大会はアジア初の国際トライアスロン連合(ITU)の大会であると同時に、日本初の世界大会でもあります。そして日本人がメダリストとして、トライアスロンの歴史に名を残した記念すべき大会になりました。
第二次トライアスロンブームの始まり
冒頭でも説明した通り、2007年の東京マラソン開催によって歴史的なマラソンブームが起こりました。そしてランニングよりもさらに過酷なトライアスロンに挑戦する人が増えはじめ、トライアスロンの競技人口が急増していきます。
日本のトライアスロンの歴史上、2008年は第二次トライアスロンブームの始まりの年と言われており、現在国内で開催されるトライアスロンは100大会以上となりました。
オリンピックの正式種目になったのはいつ?
シドニーオリンピックから正式種目に採用
トライアスロンがオリンピックの歴史上初めて正式採用種目となったのは、2000年のシドニーオリンピックです。結果はヨーロッパ勢が圧倒的に上位を占め、欧州でのトライアスロン人気の高さを示すものとなりました。
トライアスロンは国際的にも人気がありますが、オリンピックの歴史上では、実はまだ6回しか行われたことのない新しい競技なのです。
リオパラリンピックから正式種目に採用
パラトライアスロンがパラリンピックの歴史上初めて正式採用種目となったのは、2016年のリオデジャネイロパラリンピックです。パラトライアスロンはトライアスロンの総距離の半分で行われ、それぞれの選手の障害の程度によってクラス分けされます。
種目ごとに装具の使用が認められ、装具の着脱や準備が難しい場合はガイドやハンドラーと呼ばれる付き添い人が付くケースが多いです。
北京五輪で歴史上初の日本人選手の入賞!
オリンピックの歴史上、日本初の入賞は2008年北京オリンピックで5位となった井出樹里選手です。日本人選手はシドニーオリンピックから連続して出場していますが、まだメダリストは出ていません。
これまでのオリンピックの歴史を振りかえると、トライアスロンはヨーロッパ勢が依然として強く、男子はイギリス、女子はスイスがそれぞれ金メダル2個を獲得しています。
トライアスロンの魅力とは?
①達成感を獲得する
トライアスロンの魅力とは、なんといっても達成感を獲得できることでしょう。スイム、バイク、ランという3種目の連続は過酷かもしれませんが、高ければ高いほど壁を越えた時の達成感は大きいものです。
登山では一つの山を登り終えると次はさらに高い山を目指したくなります。それは頂に到着した時の達成感が自分への自信となり、そこでしか得られないものを手に入れることが魅力だからです。トライアスロンにもそんな魅力がありますね。
②大自然を感じる
トライアスロンの魅力のひとつは自然との一体感です。スイムは海を泳ぐため、開催地は自然に囲まれた場所になります。海を泳ぎ、山をランニングするという、普段はあまり経験できない大自然を味わえる爽快感が大きな魅力です。
また大会ごとに会場が違うため、世界各国や日本各地の観光地を巡ったり、美味しいものを食べたりできることも魅力のひとつでしょう。
③誰でも挑戦できる
トライアスロンは他の競技と違って競技年齢が幅広く、圧倒的に多いのが30~50代です。もちろん若いアスリートもいますが、30代からトライアスロンを始める人が多いのが特徴となっています。
トライアスロンとは年齢、性別、身体能力によらず、トレーニングを積めば誰でも挑戦することができる種目です。トライアスロンによって得られる達成感は勝敗やタイムだけでなく、自分との戦いに勝つということも大きな魅力となります。
トライアスロンの歴史を知って観戦を楽しもう!
トライアスロンというと精神的にも肉体的にも過酷な競技という印象が強いですが、その歴史の原点は誰でも経験したことのある身近な種目を組み合わせて挑戦してみようという遊び心です。
歴史の浅い競技であるにも関わらず幅広い年齢層に魅力的に映るのは、トライアスロンの原点がワクワクするような大人の冒険心だからかもしれません。トライアスロンの歴史を知って、より身近な競技として観戦を楽しみましょう。
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この記事ではトライアスロンの歴史をご紹介しましたが、他のスポーツにもさまざまな歴史があります。歴史を知って競技を観戦してみると、これまでとは違った魅力を感じることができるでしょう。他にもスポーツの歴史を紹介している面白い記事がたくさんありますので、ぜひご覧になってみてください。
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出典:photo-ac.com