野球の歴史を紹介
日本の国民的スポーツの野球の歴史はかなり古く、その起源は何世紀も前という記録が残っています。野球の発祥といえばアメリカと言われていますが、実は野球の原型となった動作は古代エジプトにもすでにあったと言われており、そこからスポーツとして野球が発展したのは今から150年ほど前だったと考えられています。
ルールが定まったのはおより150年ほど前
野球は別のスポーツから発展して誕生したと言われていますが、スポーツとして認知されたのはおよそ1000年くらい前のことです。詳細なルールが加わり、今の野球とほど同じになったのは約150年前とその間にはさまざまな変容を遂げた歴史があります。
どのようにして野球というスポーツになり、今の形になったのか、野球発祥の地であるアメリカやその他の世界の歴史などを合わせて詳しく解説します。
野球の歴史の起源は古代から
野球の直接の起源ではありませんが、投てきの起源と言われているのは何世紀も前の化石人類時代にまでさかのぼります。このときは人類が野球ボールほどの石を投げて動物を捕獲していました。当時使われていた石がアフリカ地中海に残っていた記録もあり、これがボールを投げる動作の起源と言われています。
ボールを打つ動作は古代エジプトが起源
一方、野球のボールを打つ動作の歴史は、古代エジプトから始まったと言われており、作物や植物がしっかり育つかどうかの占いで、棒で球のようなものを打って占いを行っていたことが動作の起源とされています。野球の歴史は生活や占いなど、スポーツではない動作から始まっていたのです。
球技の歴史は共通している?
スポーツ全体の起源と言われるのが12世紀、今から何世紀も前に始まった「ラ・シュール」です。野球のほか、サッカーやバスケットボールなど球技に共通した起源と言われ、スポーツ全体の歴史に繋がります。
ラ・シュールとは2手にわかれて手や足、道具などを使って2本の杭の間にボールを通すというゲームでした。主に貴族が楽しんでいた球技です。
攻撃と守備に分かれた歴史はストールボールから
ラ・シュールが誕生してから何世紀かたった後、イギリスで「ストールボール」というスポーツが誕生します。ストールボールとは、一人がボールを的に向かって投げて、もう一人が素手でボールを的から守るというゲームです。2つのチームにわかれて、攻撃と守備で競うという歴史はこのころに生まれたと言えるでしょう。
ストールボールは女性たちのスポーツ
ストールボールは、主にミルク絞りをしていた女性たちが行っていた球技と言われています。農業をしていた夫を待っている女性たちが、その間にストールボールをしていたのです。攻撃と守備に分かれることやボールを投げるという点から、ストールボールが野球という競技が誕生するきっかけとなったスポーツと言えるでしょう。
発祥の地・アメリカの野球の歴史
ストールボールがヨーロッパからアメリカに渡り、アメリカで本格的に野球の歴史が始まります。ヨーロッパから渡ったアメリカ人がストールボールをプレーするようになりますが、当時はルールがしっかり定まっておらず、プレーする場所などによってルールが変わっていました。
野球発祥の地で新競技・タウンボールが始まる
明確なルールがないストールボールは、毎回ルールを決めないといけませんでした。よくプレーをしていた消防団員のカートライトはこのことに不満を持ち、ルールを制定します。ストールボールのルールを決めたものが「タウンボール」です。
19世紀にルールを制定
カートライトは消防団員とともに1845年、タウンボールのルールを作成します。カートライトが決めたルールはアメリカ中に広がり、タウンボールの公式のルールとなっていきました。そして翌年1846年6月19日、初の試合が実施されます。この時はカートライトが所属していたチームが大敗して終わりました。
ユニフォームを着る歴史が始まる
カートライトが初めて創ったタウンボールのチームの名前は「ニッカーボッカー・クラブ」です。ニッカーボッカー・クラブは初のクラブチームであるほか、野球のユニフォームの発祥とも言われています。当時のユニフォームは青色の長ズボンと白ポロシャツ、麦わら帽子という服装でした。
監督がユニフォームを着る歴史もアメリカから
タウンボールは次第にベテランの選手がチームをまとめるようになり、監督を同時に務めるようになります。監督も選手兼任としてユニフォームを着て試合に出場していたのです。このことが今の野球でも監督が先週と同じユニフォームを着るきっかけとなりました。
9イニング制に変わったのは発祥から10年後
今でこそ9イニング制が主流ですが、タウンボールが始まった当初は21点制とイニング制ではありませんでした。タウンボールがアメリカで始まってからおよそ10年後、9イニング制のルールに変更します。野球は9イニング制という歴史もタウンボールが始まりだったようです。
ベースボールの起源は?
タウンボールが次第にベースボールへと変わっていきますが、イギリスでは1744年に発行された児童書にベースボールの記述が残っています。アメリカで初めてベースボールという名が登場するのは1791年の集会所の記録で、イギリスの方が早く呼ばれていたのです。
野球はさまざまなスポーツから派生して誕生したスポーツなので、真相はまだ分からないことが多いです。ただ、ベースボールが昔も今も盛んに行われているのはアメリカだとは言えるでしょう。
メジャーリーグの歴史
アメリカでのプロ野球の歴史を紹介します。メジャーリーグが開始される構想が出たのは1860年代前半と言われています。1869年には「シンシナティ・レッドストッキングス」という初のプロチームが誕生し、1871年には他のチームとともに初の野球リーグを始まります。これが今のメジャーリーグの起源なのです。
最初のリーグは5年で破綻
しかし、最初のリーグはアマチュアリーグとプロリーグ協会の間でうまくいかず、5年で破綻します。その後再びプロリーグが結成し、1876年に今もメジャーリーグに残るナショナルリーグが誕生するのです。ナショナルリーグは日本でいう明治時代から何世紀も続く歴史が残っています。
アメリカンリーグの始まりも日本の明治時代
メジャーリーグにはナショナルリーグともう一つ、アメリカンリーグがあります。このアメリカンリーグが誕生したのは1901年です。ナショナルリーグと同じ明治時代から始まります。その後、球団数が変わりながらも、2リーグ制が継続されています。
近代野球は1901年からを示すことが多い
近代野球を指しているのが、メジャーリーグが誕生した1901年以降と言われています。2大リーグとなってからは野球に大きなルール変更がありません。そのため、さまざまな記録は近代野球以降のものとなっています。
日本の野球の歴史は
世界の野球の歴史や起源を紹介してきましたが、次は日本の野球の歴史を紹介します。日本の野球の始まりは、アメリカから輸入されたのが発祥と言われています。英語教師であったホーレス・ウィルソンという人物が日本で野球を教えたことが始まりです。
野球の歴史の始まりは鬼ごっこ
アメリカからやってきたウィルソンが野球を伝えたのは明治4年、東京大学で英語を教えていました。生徒に野球を伝えたことが始まりと言われています。当時は野球とは言わず、「打球鬼ごっこ」という名前で始まります。打球鬼ごっこは全国的で流行し、少しずつ野球という名前も広がっていくのでした。これが歴史の始まりと言われています。
野球の歴史から大学野球から
ウィルソンが明治4年に東京大学で野球を伝えてからすぐ、大学野球の歴史が始まります。東京大学を中心として、東京にある大学が参加して試合が行われました。リーグ戦が誕生し、今では全国各地の大学で野球が行われています。特に東京大学が所属している東京六大学野球は、今もなお人気と歴史のあるリーグとして有名です。
日本で本格的な野球チームを作った人物は?
日本国外で日本人が初めて試合を行なったチームは明治11年、アメリカに留学していた平岡ひろしという人物によって結成された「新橋アスレチック倶楽部」です。これが日本で初めての野球チームでした。平岡ひろしは選手でしたが、鉄道技師や三味線奏者など、さまざまな面がある人物と言われています。
平岡ひろしとはどんな人物?
平岡ひろしは、アメリカで鉄道技術を学んだ人物です。明治9年、日本に帰国したときにアメリカから野球道具を大量に持って帰ります。ユニフォームは、つばが広い白いキャップと膝までのズボン、赤いストッキングで、非常にハイカラだと言われていました。この人物によって日本の野球の歴史は一気に進展していくのです。
平岡ひろしはカーブを初めて投げた人物でもある
選手兼監督で、投手でもあった平岡は、日本野球の歴史の中で初めてカーブを投げた選手です。平岡の投げるカーブは「魔球」と称され、多くの選手から恐れられていました。さらに歴史的にも有名な俳人・正岡子規も、平岡から野球を習っていた人物の一人です。
プロ野球の歴史や発祥
長く続く日本のプロ野球の歴史は1920年から始まります。早稲田大学野球部の人物たちが日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」、翌年の1921年には天勝野球団が創立されたのが発祥です。しかし、すぐに両球団とも解散してしまい、歴史はすぐ終わっていしまいます。
プロ野球発祥の歴史は1934年から
解散しておよそ10年後の1934年、読売新聞社の正力松太郎によって大日本東京野球倶楽部が誕生します。大日本東京野球倶楽部が後に読売ジャイアンツに代わります。今もプロ野球に残っており、長い歴史があります。
また、正力松太郎は日本プロ野球を誕生させた人物として、日本プロ野球界に貢献した関係者を対象に毎年「正力松太郎賞」が贈られています。
プロ野球が2リーグ制に移行したのも正力松太郎
現代のプロ野球はセ・リーグとパ・リーグの2リーグ制ですが、以前のプロ野球は1リーグ制でした。2リーグ制を模索し、誕生させたのも正力松太郎です。この人物から今のプロ野球の形ができ、野球が国民的スポーツとなったと言えるでしょう。
プロ選手が世界と戦った歴史はオリンピック
日本のプロ野球選手が世界と戦ったのは歴史はオリンピックです。オリンピック以前も日米野球などで戦う機会はありましたが、真剣勝負の場ではありませんでした。そのオリンピックも1996年まではアマチュア選手が出場していました。
2000年からはプロも参加し、2004年のアテネオリンピックはオールプロで戦った歴史が残されています。しかし、メジャーリーグからの参加はないなど、各国ともベストなメンバーというわけではありません。
甲子園や高校野球の歴史
日本の野球で有名なイベントといえば高校野球でしょう。毎年春と夏、地域ごとにとても盛り上がりをみせています。高校野球の歴史は1914年の全国中等学校優勝野球大会です。プロ野球が始める少し前から高校野球は始まっていました。第1回から9回までは甲子園ではなく、豊中球場や鳴尾球場など関西にある別の球場を使用して開催しています。
全ての都道府県から出場するようになったのは1979年から
夏の高校野球は全都道府県から出場するのが当たり前になっていますが、以前は2県から1校の代表校を選ぶなど全都道府県が全て出場できるわけではありませんでした。現代のように北海道と東京都から2校ずつ、他の府県からは1校ずつとなったのは1979年の第61回大会からです。
中止となったのは2回
高校野球の100年以上ある歴史の中で中止となったのは過去2回で、1918年の米騒動と2020年と新型コロナウィルスが理由です。太平洋戦争期間は中止ではなく中断なので、回数としてはカウントされていません。
長い歴史でさまざまなルールや制度が変わる中で、中止となるのは珍しいことで、不測の事態で高校球児の活躍の場が奪われることは悲しいことと言えますね。
野球の歴史はまだ浅い
近代野球と言われる今のルールとなったのは150年ほど前で、歴史がまだ浅いと言えます。2021年もメジャーリーグで二刀流の大谷翔平選手が活躍するなど、今後も新しい歴史を刻んでいくことでしょう。
日本ではすでに国民的スポーツですが、オリンピックなど国際的なイベントや高校、大学野球、プロ野球などを通してさらに人気が増していくことを期待できます。
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