ボクシングの歴史は古代オリンピックから
ボクシングは古代オリンピックから採用されていたと言われる歴史の古い競技です。当時は拳闘と呼ばれ素手や雄牛の皮で作った革紐ヒマンテスを巻いて戦ったと言われています。
近代オリンピックでは、第3回のセントルイスオリンピックから、1912年ストックホルム大会を除き、すべての大会で行われた由緒ある競技で、第30回のロンドン大会からは女子ボクシングも正式種目になりました。
現在のボクシングは世界全体に広く普及していて、ワールドワイドで競技人口が多いが多いスポーツとなっています。
一獲千金のプロスポーツ
現代、ボクシングといえばプロボクシングの存在が際立っています。中でも世界のウルトラトップクラスの選手は1試合で200憶のファイトマネーを稼ぐこともあります。
世界チャンピオンになり、ラスベガスでベルトを賭けて戦えば軽量級の選手でも1億円以上を手にすることも可能。それだけ夢がある競技といえるでしょう。そんなボクシングの歴史やルールと競技の特徴などを詳しく紹介します。
古代ボクシングの歴史
ボクシングは紀元前数千年も前から素手で殴り合っていた記録のある歴史の長い競技。紀元前668年の第23回古代オリンピックでは、革ひもを巻いた拳で殴り合う競技として採用されたと言われています。
当時のボクシングは、選手が負けを認めるか、意識を失うまで試合が続行され、時には死者が出るほど鬼気迫る危険な競技でした。
歴史の中でボクシングは禁止されたことも
その後もボクシングは娯楽の一種として人気を誇っていましたが、奴隷同士が死ぬまで戦うような悲惨な試合も多く、404年にローマ皇帝が「残忍すぎる」という理由で禁止された歴史もあります。
以降、はっきりと古代のボクシングを引き継いだ記録はないようです。一部で護身術の一種として残っていたという説もありますが、16世紀まではボクシング空白の時代です。
16世紀に復活したボクシング
16世紀になるとボクシングはイギリスで賞金マッチとして復活し、大変な人気を得ました。近代ボクシングの始祖といわれるジェームズ・フィッグは、自らジムを設立し、ボクシング選手の育成に力を入れた記録が残っています。
近代ボクシングの基礎ブロードン・コード
フィッグの弟子でチャンピオンにもなったジャック・ブロートンは、自身もボクシング選手としての経験から試合の危険性を理解し、1743年にブロートン・コードという規定を発表しています。
何でもありに近いルールだったボクシングから、噛みつきや投げ技を禁止し、採点方法などの判定方法も決め、賞金の配分方法まで明文化しています。
再び禁止される悲しい時代
優れたブロートン・コードですが当時は浸透せず、実際の試合は以前と同様のほぼノールールで凄惨を極めた戦いが続きました。結果、1754年にはイギリスでボクシングが違法となった苦い歴史があります。
しかし、ボクシング人気は下火にならず1790年にふたたび解禁されました。そこから、1867年になると「クイーンズベリー・ルール」という、現在のボクシングの規則とほぼ同じ内容を定めたルールが採用されています。
スポーツ要素をふんだんに込めたルール
「クイーンズベリー・ルール」は現在のようなラウンド制で、グローブを着用し、投げ技は禁止され、ノックアウトの規定も詳細に決められていました。その結果、ボクシングの歴史上はじめてスポーツとして成立するルールのベースが構築されたのです。
オリンピックにプロボクサーが参加の新しい潮流
オリンピックのボクシングは、長くアマチュアのみの参加でしたが、2016年のリオデジャネイロ大会よりプロの参加が解禁となり、新しい歴史が始まりました。しかし、実際には日程や金銭的な補償などで有名なプロ選手の参加は難しいようです。
日本ボクシングの歴史
日本で今日のボクシングにつながる歴史といえば、1921年(大正10年)に渡辺勇次郎が設立した「日本拳闘倶楽部」が始まりとされています。
それ以前にもボクシングの興行は行われた歴史がるあようですが、現代のボクシングとは異なる形式だったようです。
「日本拳闘倶楽部」誕生がボクシングを発展させた!
アメリカのサンフランシスコでプロボクサーだった渡辺勇次郎は、日本に帰国し「日本拳闘倶楽部」を設立して、ボクシングを「体育、精神力、国際親善、外貨獲得に欠かせない国際競技である」と紹介しています。
実際に日本拳闘倶楽部で多くの練習生を鍛え、ボクシング技術を教え、ボクシングを広めました。練習生の中には後の「帝拳」の創設者・荻野貞行や、拳聖・ピストン堀口などの名選手を輩出しています。
1922年にプロボクシング誕生
渡辺勇次郎は1922年(大正11年)に「日米拳闘大試合」を開催し、これが日本で初のプロボクシング興行といわれています。
さらに、1923年(大正12年)には弟子の臼田金太郎が「学生拳闘試合」を開催し、これが日本で最初に行われたアマチュアボクシングの試合という記録が残っているのです。
1925年に「全日本アマチュア拳闘連盟」が誕生
1925年(大正14年)になると、複数の大学で拳闘部(ボクシング部)が誕生し、ボクシングの競技人口が増加し、「全日本アマチュア拳闘連盟」も誕生しています。
1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックには臼田金太郎(ウェルター級)と岡本不二(バンタム級)が出場した歴史があり、臼田はベスト8の戦績を残しました。
戦争でボクシングは下火に!
1931年(昭和6年)には当時の有力な拳闘倶楽部がほとんど参加して、全日本プロフェッショナル拳闘協会が発足しています。
しかし、その後日本プロフェッショナル拳闘協会は内部分裂が続き、また、有力ボクサーの出征もあって、1944年(昭和19年)に解散しました。
ボクシング日本選手は5人のメダリスト
オリンピックのボクシングで日本選手は、2016年のリオデジャネイロオリンピックまでに5個のメダルを獲得しています。
最初にメダルを獲得したのは、1960年のローマ大会にフライ級で出場した田辺清の銅メダルでした。続いて、1964年の東京大会では、桜井孝雄がバンタム級で日本人初の金メダルを手にしています。
1968年のメキシコ大会に出場した森岡栄治はバンタム級で銅メダルに輝き、'60年代は3個のメダルを獲得した実績があるのです。
48年ぶりの歴史に残る快挙
そして、2012年のロンドン大会に出場した村田諒太が、世界で最も選手層が厚いミドル級で金メダルを手にした輝かしい歴史を作りました。ボクシングの金メダルは48年ぶりの歴史に残る快挙です。
同じロンドン大会にバンタム級で出場した清水聡も44年ぶりに銅メダルを獲得しました。1大会で2つのメダルはオリンピックボクシング史上、こちらも歴史に残る大変な偉業になったのです。
世界チャンピオンが次々に誕生
戦後になりプロボクシング団体の離合集散があった後に、1976年(昭和51年)になると、現代のような「全日本ボクシング協会」が確立し、2000年(平成12年)に現在の「日本プロボクシング協会」に改称しています。
最近の日本のプロボクシング界は、男女ともに常に数名の世界チャンピオンが存在する強力なボクサーが多数存在しているのです。
日本の女子ボクシングの歴史
18世紀や19世紀に女性がボクシングで戦いあったという歴史は残っていますが、あくまで単発的な戦いでした。
1904年のセントルイスオリンピックでボクシングが採用されてから、女性アスリートのトレーニングにボクシングが採用されたり、女子ボクサーの試合がテレビ放映されたり、ボクシングに関係していた女性はいたのです。
女性のボクシングファンは増えている
1990年代に入ると世界各地で多くの女性ボクサーが試合へ出場し戦いあっていました。そのように女子ボクシングは年々世界で広く認知されるようになり、2012年のロンドンオリンピックで女子ボクシングが正式種目として採用されたのです。
プロを目指さなくても、思いっきりサンドバッグを叩くとスッキリするようで、ボクシングは人気スポーツとして女性の間にも広まっています。
ボクシングのルール
今回はオリンピック種目でもあるアマチュアボクシングのルールの紹介です。競技場となるリングは6.1×6.1mの正方形の大きさになります。基本的に3分×3ラウンドで試合が行われ、終了した時点で5人のジャッジの採点で勝敗が決まるのです。
ユニフォームはベルトラインが必要
試合では自分のコーナーの色のランニングシャツとトランクスを着用します。トランクスは「腿の半分くらいあるトランクス」と規定され、色については指定はありません。ただし、流血が分かりにくい赤系統は制止されることもあります。
上半身のランニングシャツと同色のトランクスを着用する時は、ベルトラインが明確に区別できるようベルト部分の色分けが必要です。
オリンピックのボクシングは有効打の数
アマチュアボクシングは3ラウンドと短期の戦いであり、1ラウンドから積極的に、そして、的確に相手をヒットすることが重要になります。
また、ターゲットエリアと呼ばれる、体のベルトラインより上の前面と、側面、具体的には顔面や、あご、ボディなどへのヒットが必要です。
勝敗の決り手は数種類
ボクシングの「ポイント勝ち」は、5名のジャッジがラウンドごとに優勢な選手に10点を付け、3ラウンド合計ポイントで勝者を決め、過半数のジャッジが優勢とした選手が勝利者になります。
「RSC(Referee Stops Contest)」、レフリー・ストップ・コンテストは、両選手に力の差が著しく顕著な場合や、選手が負傷などで試合続行が危険とレフリーが判断した場合、続行不可の選手の敗北です。
勝負の決着は多種
反則や1試合で3回の警告を受けた選手は失格で負になり、相手が「失格勝ち」になります。ノックアウト(KO)負けは、ダウンし10秒以内に競技が続行できない場合の負けです。このように勝負の決着も多種類あります。
拳と拳で上半身のみを攻撃というシンプルなルールが、逆に多彩なボクシングスタイルを生み出し、観客を魅了するスポーツになっているのです。
ボクシングの主な反則
オリンピックのボクシングの反則は、ベルトライン以下を攻撃する「ローブロー」や、ダウンした相手を攻撃したり、バッティングといわれる頭や肩やひじで攻撃することが禁止ルールです。
また、手の甲などナックル部分以外のパンチも禁止で、引き倒したり、投げたり、蹴ったりすることも反則になっています。また、ロープの反動を利用しての攻撃も禁止です。
ボクシングのためになるトリビア
紀元前に発祥した長い歴史があるボクシングには、ボクシングならではの面白いユニークなトリビアがあります。
そんな中で、プチ自慢できそうな4つの情報について紹介します。知り合いや友人にそれとなく披露すると受けそうな内容ばかりです。
ボクシングトリビア①:ゴールドメダリストからプロへ
オリンピックのメダリストから、プロボクサーになり、有名な世界チャンピオンなった選手が多数います。
モハメド・アリはローマオリンピックのライトヘビー級で金メダルを獲得しました。ジョージ・ファーマンはメキシコ大会のヘビー級の金メダリストです。
オスカー・デ・ラ・ホーヤはバルセロナ大会のライト級で金メダルを獲得しています。日本では村田諒太がロンドン大会のミドル級の金メダリストです。
ボクシングトリビア②:四角いのにリング(輪)
ボクシングはリングで戦います。リングは四角いのですが、リング=輪と呼びます。なぜでしょう?
その昔、ボクシングは丸い輪(リング)で戦い、その輪を丸く囲むように見物していました。輪の後ろは見えないので丸いリングは高くなり、選手の落下防止でロープを張るようになったのです。
ところが、丸くロープを張るのは難しく、いつからか四角いリングになりました。その名残で今でもボクシング選手が戦うステージはリングと呼ばれています。
ボクシングトリビア③:チャンピオンは赤コーナー
プロボクシングでは赤コーナーと青コーナーがあり、赤と青の違いでランキングの違いを現しています。通常、赤コーナーはランキング上位者、青コーナーがランキング下位になり、チャンピオンは赤コーナーなのです。
さらにいえば、チャンピオンは相手コーナーの青が見え、青色の特性である気分を落ち着かせ、冷静になる効果が期待できるといわれます。
いっぽう、挑戦者はチャンピオンの赤が見え、赤色特有の闘争心を高め戦闘意欲アップとなる効果が期待できるのです。
ボクシング④:ガッツポーズはボクシングから
世間で広く使われているガッツポーズ、その発祥にはプロボクサーガッツ石松が深く関わっているといわれています。ボクシングWBC世界ライト級王座を8回KOで奪取したガッツ石松は、両手を挙げて勝利を喜んだのです。
その姿をスポーツ報知の記者が「ガッツポーズ」と表現したことから、勝利や何かを勝ち取ったときに手を挙げて喜ぶポーズを「ガッツポーズ」と呼ぶようになりました。
ボクシングの歴史を知って五輪を楽しもう!
紀元前に発祥したボクシング、その詳しい歴史やルールや薀蓄などを紹介しました。正面から拳だけで打ち合う最もシンプルなルールだけに、戦術や技術や体力など、奥が深い競技です。歴史やルールを知ってボクシングをもっと楽しみましょう!
ボクシングの発祥や歴史が気になる方はこちらをチェック!
本記事は紀元前数千年の時代に発祥したボクシングの歴史やルールなどを採り上げました。ボクシングは近代オリンピックでも、1904年の第3回セントルイスオリンピックから実施されている人気競技です。
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