バドミントンとは
歴史を知るまえに
バドミントンはシングルかダブルスで軽量のラケットでシャトルを打ち合い、得点を競うスポーツで、ラリーは瞬時に終わったり、延々と続いたりして予測不能の面白さがあります。ギネスブックによれば、バドミントンのスマッシュは初速493km/hという驚きの速さです。(この記事は2021年7月25日の情報をもとに作成しました。)
バドミントンの競技人口
バドミントンは国際大会でトップクラスのスポーツ選手が行うだけでなく、娯楽でも親しまれるスポーツです。日本での競技人口は、30万人と言われていますが、学校のクラブ活動などで楽しむ人を加えるとさらに多くの競技人口となります。スポーツには起源や発祥の歴史があり、バドミントンも歴史を理解することで楽しみが深まるでしょう。
バドミントンの歴史に目を向けよう
バドミントンはどのようにして発祥・普及し、人気のスポーツとなったのでしょうか。名前の由来や、歴史のなかでどのように変化や進化したのか知りたくなります。緩急あるシャトルコックの動きやトリッキーな打ち方は、観ているだけでも楽しいものです。バドミントンの始まりから歴史をたどってみましょう。
バドミントンの歴史①起源
世界の歴史を振り返ると、バドミントンの起源に関係しているのではないかというストーリーが点在しています。とはいえ、歴史家たちによれば、バドミントンの発祥を1つのルーツに絞ることは難しいのだそうです。一体どのようなストリーがあるのでしょうか。ギリシャや、東南アジア、イギリスでの歴史を1つ1つ追ってみましょう。
古代ギリシャからアジア諸国へ伝わった歴史
バドミントンの起源を探ると、古代ギリシャの歴史や古代エジプトの歴史に起源を発見できます。紀元前、金属を芯にして布でくるんだ蹴鞠状のものを木の板で打って楽しんだのが始まりで、ラケットは木の枠と反発力のある皮を組み合わせて作りました。バドミントンの歴史の中では、これらがアジア諸国に伝播したようです。
インドではプーナが発祥した歴史
ギリシャからインドに伝播すると、「羽子板」と「羽」というスタイルに変化しました。やがてシャム(現タイ王国)、中国、日本へと伝わって、さらに変化した歴史があるそうです。19世紀に、インド滞在のイギリス人将校たちがダチョウ皮のラケットで打つプーナという遊びを楽しんだといいます。
プーナは後ほどお伝えしますが、イギリスにあった遊びとよく似ていたので、イギリス人将校たちは懐かしかったかも知れません。
中国の歴史には羽を蹴り上げる遊びがあった
羽の球を足のかかとなどで、打ち合うこの遊びは「Ti Jianzi 」と呼ばれ、2名~数名で楽しまれたり、1名で美しい技を披露したりする人もました。歴史上においてこの遊びは紀元前からあるものの、直接バドミントンのルーツとは断定できません。しかし羽を足で蹴り上げて「打ち合う」という点でバドミントンによく似ています。
日本の歴史に羽子板遊びが登場した
毬杖(ぎっちょう)という遊びをご存じでしょうか?日本の歴史では平安時代にあたり、木製の杖で球を相手のゾーンに打ち込む遊びでした。さらに中国から「胡鬼板(こぎいた)」と「胡鬼子(こぎのこ)」と呼ばれる遊びも渡来しました。胡鬼子には何枚かの羽が取り付けられていて「羽子板遊び」の始まりといわれています。
歴史一口知識:18世紀日本にバドミントンの原型伝来
長崎出島オランダ商館跡に「バドミントン伝来之地」という記念碑があります。バドミントン発祥の歴史より一足早く、その原型が長崎に渡来していました。実は1787年刊行の「紅毛雑話」には、インドネシア人の少年たちがラケットと羽で遊ぶ様子がイラスト入りで書かれているそうです。
バドミントンの歴史②発祥国
1860年代英領インドで、イギリス人陸軍将校たちは母国の遊びに似た、ラケットで羽のついた球を打ち合うプーナ(Poona)があるのを発見し、ネットを加えてプーナを楽しみました。イギリスに古くからあった、プーナに似た遊び、その名はバトルドー・アンド・シャトルコックといいます。早速その歴史をみていきましょう。
バトルドー・アンド・シャトルコックの歴史
Calming image of the day.
— Anne Goldgar (@anne_goldgar) May 18, 2020
Adriaen van de Venne, Two women playing battledore and shuttlecock, c. 1625-6 pic.twitter.com/56YR6LEQih
イギリスには古来バトルドー・アンド・シャトルコック(Battledore and Shuttlecock)という遊びがありました。バトルドーとは「羽子板」「洗濯棒」、シャトルコックは「羽」という意味です。このイギリスの遊びと、インドからのプーナは融合し合い、バドミントン発祥の歴史に影響を与えたといいます。
歴史の中では上流階級の遊びだったことも
イギリスに古くからあったバトルドー・アンド・シャトルコックは、17世紀には上流階級の遊びへと変化したといいます。練習すればラリーを長く続けることは難しいものではなく、1830年の記録では、サマセット家で2,117回のラリーが続いたそうです。イギリスで、バドミントンがスポーツへと変化する歴史がスタートしました。
イギリスのバドミントン村での歴史
イギリス、グロスターシャー州バドミントンに、広大な領地を持っていた第8代ボーフォート公(1824~1899)は、狩りやスポーツに習熟した人でした。彼の邸宅は「バドミントンハウス」といい、室内でバドミントンの原型となる遊びを楽しんだそうです。パーティー参加者の中には、プーナ経験のある将校もいたと考えられています。
バドミントンの名前
バドミントン村のバドミントンハウスで行われたので、新たなスポーツの名前は「バドミントン」と呼ばれるようになったといいます。近代スポーツの歴史に、バドミントンが名を連ねた始まりといえるでしょう。
歴史こぼれ話「ヒットアンドスクリーム」
バドミントンの歴史の中には珍しい慣習があり、男女ペア2組でバドミントンを楽しむ時、女性が打ったら「キャー」と叫んだのだそうです。これは「ヒットアンドスクリーム」といわれ、バドミントンの別名でもありました。初期のバドミントン風景を描いた絵画を見ると、男性も女性もバドミントンを行う場合には、正装に近い服装をしています。
バドミントンの歴史③近代スポーツとして
イギリス内での普及の歴史
歴史の中で徐々にバドミントンと呼ばれるようになったこのスポーツは、1860~1870年にかけて、イギリスの国中に普及していったといいます。各地にバドミントンクラブができ、それぞれのルールがあったため、しばしば論争が起きたということです。そのため、出場する選手にとっても、開催者にとっても統一したルールが必要となりました。
英国バドミントン協会の歴史
1893年、ロンドンにバドミントン協会が設立され、1899年にはロンドンで第1回「全英選手権」が開かれてバドミントンの新たな歴史が始まりました。当時はダブルスの試合のみで、シングルスは社交的でないという理由で行われなかったのだといいます。シングルス競技の歴史的試合は1900年に行われたということです。
イギリスからアメリカやカナダに伝わった
バドミントンは1890年台終盤に大陸を超えて、ついにアメリカやカナダに伝ったということです。19世紀末にはアメリカバドミントン協会が設立され、20世紀にはいるとカナダバドミントン協会が設立されています。
世界バドミントン連盟(WBF)設立までの歴史
1934年には、世界規模での組織として世界バドミントン連盟(IBF)ができ、2006年に、IBFは世界バドミントン連盟(BWF)と名称変更されました。初代会長は20世紀の名選手、ジョージトーマスで、彼の名にちなんだ国際大会は「トーマス杯」と呼ばれています。
日本バドミントンの歴史はYMCAから
歴史上古くから羽子板つきが行われていた日本ですが、近代スポーツとしてのバドミントンが日本に普及するのに、YMCAが貢献したそうです。YMCAは1844年に、ロンドンで12人の青年が集まってできた組織でした。YMCAは「精神」「知性」「身体」をコンセプトに世界に広がり、1880年(明治13年)東京YMCAが設立されました。
1930年代には国内に普及しはじめた
1921年、横浜YMCA名誉主事の米国人、スネード氏が体育主事の広田兼敏氏にバドミントン道具をセットで送ったことが日本普及の糸口となりました。広田氏は在日していた外国の人々からバドミントンを教わって、1933年に横浜YMCAの体育活動に取り入れたそうです。1937年にはバドミントンクラブができるまでになったといいます。
戦後日本中に広まった
戦後1946年、YMCAは日本でクラブチームが再開され、同じ年「日本バドミントン協会」が設立され、次々とバドミントンの競技大会が開かれ、国体の競技種目にもなったということです。1954年は男子チームがトーマス杯のアジア予選出場、女子は1965年~1981年の間に、ユーバー杯に何回も優勝するという歴史的結果を残しました。
オリンピック種目として
バドミントンは1972年のミュンヘンオリンピックでデモンストレーション競技として紹介され、1992年にはオリンピックの正式種目となりました。シャトルコックの初速や終速の変化、オーバーヘッド、サイドアーム・アンダーアームなどのストロークはとてもダイナミック。バドミントンは観客を惹きつける人気スポーツへとなっています。
バドミントンの歴史④道具やルール
コートサイズのルール
バドミントンが発祥したころは、邸室内で行い、コートの形は部屋の形に合わせていたのだとか。現在ではルールがあります。シングルスはネットと垂直のラインの内側を使用し、コートサイズは13.4m×5.18m。一方ダブルスは外側のラインを使用し、サイズは13.4m×6.1mです。
ネットサイズのルール
コート中央を区切るネットのサイズは丈が76cm、幅は少なくても6.1mと決められていて、シングルスもダブルスの幅に合わせて設置されます。暗い色で、網目サイズは1.5~2cmと定められました。ネットを貼るポール状のものは、バドミントンではポストと呼ばれ、プレーヤーそれぞれの領域を区切る重要な存在です。
ラケットのルール
競技会でのラケットは、フレーム部分が縦68cm横23cm以内と決められています。ラケットはチタンやアルミ材質の商品が多く流通していますが、重さ、グリップサイズ、プレイスタイルなどを考慮して選びましょう。学校の部活動や大人の娯楽用には5,000~8,000円の価格帯で、オールカーボンの商品に人気があるようです。
シャトルコックのルール
バドミントンの羽の呼称はシャトル。現在、競技会にはガチョウ、練習にはアヒルの羽が多く選ばれているといいます。シャトルコックのコルク部分の直径は25~28mmで、羽16枚は全長62~70mm、上部の羽の開きは直径58~68mm。重さは4.74~5.50gだということです。
ゲーム数は3つ
バドミントンは21点先取した方が勝ちで、ファーストゲーム、セカンドゲーム、ファイナルゲームの3ゲーム制。2ゲーム先取すれば勝ちとなり、ファイナルゲームではどちらかが11点に達すれば、コートを交換します。20対20となった場合は、延長戦となり先に2点獲得した側、もしくは30点獲得した側が勝ちです。
【バドミントン動画】高度な技が見られる動画です!
国際大会に出場する選手たちの迫力ある動画が楽しめます。本格的なバドミントンがどれだけ面白いのかが、よくわかる動画です。
歴史を知ったらバドミントンを楽しもう
イギリスにもともとあった遊びが、変化や進化をとげて、オリンピック競技にまでなったバドミントンの歴史をお伝えしました。1899年に全英選手権が行われて以来の長い歴史があります。シンプルで明快なゲームですが、バドミントンを実際に行っても、観戦しても奥が深いそうです。バドミントンが今後どのよな歴史を刻むのか目が離せません。
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出典:ac-illust.com