テニスの歴史や起源を紹介!
錦織圭選手や大坂なおみ選手などの活躍で、日本のテニスはとても盛り上がりを見せており、スポーツ選手以外にもテニスをしている人はとても多くなっています。そんな人気のスポーツであるテニスの歴史や発祥をご存じですか?この記事では紀元前から続くと言われるテニスの歴史や起源、そして由来をわかりやすく紹介します。
テニスとはどんなスポーツ?
テニスとは簡単にいうと、瞬発力とスタミナが大切なスポーツです。プロスポーツになると試合時間が長く、小さいボールを常に追う必要があります。しかしながらテニスは子供からお年寄りまで幅広い世代で愛されているスポーツでもあります。日本を含め世界にも競技人口が多く、生涯スポーツという概念の起源や発祥とも言われています。
テニスの歴史や起源は紀元前から
古代エジプトの時代に描かれたといわれる壁画の中にすでに、テニスのような球技を行う人々の様子が残されていました。古代エジプトの歴史で宗教的な行為として複数の人が1つのボールを打ち合うという球技を行なってたと伝わっており、これがテニスの原型と言われています。
このように複数の人がボールを打ち合う競技の起源は、およそ紀元前3000年前から始まった歴史があると考えられています。
テニスの語源も古代エジプトに
テニスの語源も紀元前の古代エジプト時代と言われています。当時、「テニス」や「タニス」というスポーツがあり、それが現代のテニスの語源と言われているのです。
テニスという名前になった由来はフランスに
直接的なテニスの原型と考えられているスポーツは、フランスで11世紀ごろに行われた「ジュ・ド・ボーム」と言われています。フランス語では「手のひらのゲーム」という意味で、古くは素手で行っていたスポーツです。現代のジュ・ド・ボームでは素手ではなくラケットを使いますが、名前は同じままで現在もスポーツとして残っています。
ジュ・ド・ボームが広がったのは貴族から
ジュ・ド・ボームの歴史は16世紀から17世紀ごろにフランスやイギリスの王室や貴族の間で広まったと言われています。このことからテニスは「貴族の遊び」とかつては言われていました。その後、時代の流れと共に市民の間でも人気のスポーツとなっていきます。
1908年のロンドンオリンピックではジュ・ド・ボームが公式競技になりましたが、オリンピックで実施されたのはこの時のみ。最初で最後の開催でした。
現代でもジュ・ド・ボームの選手はいる
ジュ・ド・ボームは長い歴史を持ち、現在でもイギリスやフランス、オーストラリアなどに競技している人がいます。ジュ・ド・ボームは今でも世界選手権も実施されているほどの人気競技なのです。現代のテニスと区別するため、イギリスではリアルテニス、アメリカではコートテニスなどと呼ばれています。
ジュ・ド・ボームのコートはテニスコートより大きい
ジュ・ド・ボームのコートはテニスコートと似ていますが、少し違いも見られます。ジュ・ド・ボームは壁に囲まれており、テニスコートより圧迫感があります。テニスコートよりやや大きいのも特徴です。ジュ・ド・ボームのコートは現代でもイギリスやフランスに残っていますが、年々コートの数は少なくなっています。
現代のテニスの歴史は浅い
テニスの歴史や起源についてお伝えしましたが、現代のテニスの形なってからの歴史はまだ浅いです。1873年、ウェールズの軍隊が考案した「スフェリスティキ」が現代のテニスの原型や由来だと言われています。つまり現代のテニスの歴史はまだ、およそ150年ほどしかありません。
「スフェリスティキ」の誕生によりラケットやボール、ネットなどを持ち運べるようになり、芝生の上だとどこでもできるようになりました。
ウィンブルドン選手権は1877年から
テニスの歴史が始まってすぐの1877年にはイギリスでウィンブルドン選手権が始まります。この大会がテニス大会の起源になります。その後、アメリカなどにもテニスが広がり、現代の全米オープンやデビスカップなどがスタート。各大会ともウィンブルドンを追うようにして、歴史あるテニスの大会になっていきます。
ポイントの数え方も中世ヨーロッパに由来?
テニスのポイントの数え方は0(ラブ)、15(フィフティーン)、30(サーティー)、40(フォーティー)と変化するルールです。ややこしい数え方ですが、中世ヨーロッパが起源や語源という説があります。
ヨーロッパでは60進法が一般的で、4ポイント先取の場合、0、15、30、45というルールにして、一周した60で1ゲームという考え方になります。
45から40に変化した歴史は?
60進法のままでいくと、30の次は45ですが、テニスの数え方だと40です。45だと「フォーティーファイブ」と長くなってしまうので、テニスの歴史の中で次第に40の「フォーティー」に変化しました。ポイントの数え方はフランスからイギリスにテニスが伝わったときに変化したのが起源と言われています。
0は「ラブ」と呼ぶ
0は英語でも「ゼロ」ですが、テニスでは「ラブ」と言います。語源とされる説は2つあります。一つがフランス語で0が卵の形に見えることから、フランス語で卵を意味する「l’oeuf」から英語で「love」が原型となったという説。
もう一つは0は「何もない」という意味で、かつて同じ意味があった「love」から変化したという説です。どちらの理由でも、カウントの原型は中世ヨーロッパではないかと言われています。
テニスコートの歴史
テニスが発祥した当時は芝生のコートが使われていました。今でも全英オープンなど歴史の深い大会の多くは芝生のグラスコートで実施されます。ですが管理が難しいため、年間を通して使うことは少ないです。テニスの歴史には大会ごとに使用されていたコートも変化した記録も存在します。そのためテニスコートには何種類かあるのです。その特徴や発祥などを解説します。
昔のコートの歴史は砂時計型
現在のテニスコートは長方形ですが、テニスが始まった当初はネットがベースラインよりも短く、砂時計のような形をしていました。この歴史ある砂時計型のテニスコートは第1回ウィンブルドンが実施される前のに流行しましたが、2021年時点でも高い天井で大型のテニスコートが多く残されています。
現代の主流はハードコート
現在世界にあるテニスコートはハードコートがメイン。ハードコートとは、アスファルトなどを基礎として、合成樹脂などでコーティングしたテニスコートです。初めて使用されたのは1987年から全豪オープンで、1978年からは全米オープンでも使用した記録が残っています。
手間や維持費が他のコートよりもかからないので、レジャー施設などのテニスコートはハードコートです。テニスコートも時代や歴史にあわせて変化していっています。
クレーコートでは番狂わせが起こりやすい
クレーコートは土のコートで学校の校庭などでよく見られます。プロの大会では全仏オープンで使用されていますが、得意不得意がわかれるため、番狂わせが起こることも。そのためテニスの歴史の名ではクレーコートを得意とする選手も現れています。全米オープンの歴史の中でも一時クレーコートが採用されていた時期もありました。
テニスのルールはどのように変化した?
テニスと呼ばれ始めてから、ルールは大きく変わっていません。貴族の遊びからスポーツに変わった歴史は長いですが、テニスとなった頃にはすでにスポーツとして成り立っていたためです。その中でも、一部ルールの変更がありました。
サーブは下手打ちからオーバーサーブへ
テニスの歴史は貴族の遊びという観点から、サーブは貴族が打ち返しやすいボールを下から打っていました。ですがウィンブルドン大会が始まったころから、上から打つサーブが採用されています。今でもアンダーサーブは可能ですが、ほとんど扱う選手はいません。
テニスボールも歴史とともに変化
テニスボールも時代とともに少し変化しています。ジュ・ド・ポームの時代は、動物の毛を詰めたものだったので、とても重かったという歴史が残されています。
今の硬式テニスボールは国際基準で大きさや弾み具合も決められています。ボールの色も、もともとは白や黒でしたが、色がわかりにくいことや汚れがつくことから黄緑のボールに変化しました。
ラケットは自分で作るもの?
ラケットも、テニスが始まった当初は選手自身がガットを張らなければなりませんでした。ガットが貼れないと、テニスプレーヤーにはなれなかったのです。
現代は機械でガットを貼るため、専門の人に任せている場合はほとんど。張り方も選手の好みや何種類も用意しておくことから、専門のガット職人が遠征にもついていき、大会にも参加しています。
日本でのテニスの歴史や発祥
ここからは日本のテニスの歴史についてです。明治時代の初めに横浜に外国人から持ち込まれたのが発祥と言われています。横浜の山手公園のテニスコートには「日本庭球発祥之地」の記念碑もあり、横浜の地からテニスの歴史が始まり、全国に広がったと言われています。
テニスが広がったのは硬式ではなく軟式
日本のテニスの歴史はフランスのジュ・ド・ボームからでも硬式テニスからでもなく、軟式テニスから始まります。実はソフトボールは日本発祥のスポーツと言われているのです。昔の日本ではテニスの道具が高価であったため、ゴムボールで代用していました。これが軟式テニスの発祥と言われています。その後、ソフトテニスが誕生してまもなく、急激に全国の学校に広がったり人気となりました。
世界大会でも日本人が活躍した歴史が
日本人選手の世界での活躍の歴史は、軟式テニスからテニスを始めた選手が硬式に転向したことから始まります。特に1920年から1930年代は日本の黄金期。4大大会やデビスカップなどで日本人が素晴らしい結果を残します。
日本のテニスの全盛期は1930年頃にかけてでした。しかし、日中戦争などで物資が不足し、黄金時代は終わりを迎えます。
女子の活躍の歴史はさらに浅い
ここまでの活躍は男子選手で、女子選手が活躍した歴史は1970年代からでさらに浅いものになります。この頃から女子日本人選手が主要な大会で上位に食い込むようになり、世界ランキングのトップ10に入るような選手が多くなり始めました。
さらに、現在では大坂なおみ選手が登場がより日本の女子テニス界を盛り上げ、日本人だけではなく、アジア人として初の世界ランキング1位となるなど、今なお女子テニス界の歴史に名前を刻んでいるいます。
軟式テニスの歴史は
ここからはその軟式テニスの歴史について紹介します。軟式テニスは日本発祥のスポーツで、柔らかいゴム状のボールを使用します。柔らかいボールが語源でソフトテニスとも呼ばれています。一般的なテニスと分けるために軟式と硬式という読み方でわかれます。
小中学生の中には、最初はソフトテニスからテニスを始めて、その後硬式テニスに転向するという子供が今でも多いです。
ソフトテニスが学校で広がる
日本で最初のテニスのルールが書かれた本は1885年に発行されました。翌年、1886年には東京高等師範学校、現在の筑波大学でテニスの指導が始まり、卒業生たちが各学校で広めていました。正式にルールが制定され、スポーツ競技となったのは1900年に入ってからで、ルールは硬式テニスとほぼ同じと言われています。
学校の部活で人気があった歴史も
1970年代、ソフトテニスは高校の部活で最も人気があるとも言われた歴史が残っています。硬式テニスの人気がある現代からは変化しています。愛好家の中でもマイナーなスポーツという認識があり、プロ選手がいないこと、オリンピックの種目や大きな大会がないことが、硬式テニスとの認知の差だとも言われています。
ルールや歴史を知ってテニスを楽しむ
テニスの歴史や起源を紹介してきました。貴族の遊びから始まったテニスですが、紀元前からあったスポーツです。由来や語源も古代エジプトとかなり昔で、日本のテニスはソフトテニスから歴史が始まったのでした。
軟式でも硬式でも老若男女楽しめるスポーツがテニスと言えます。プロ選手の活躍でも大いに盛り上がるテニス。歴史を知ってさらに深く知られたら、観戦もより楽しめるでしょう。
テニスのルールが気になる方はこちらをチェック!
テニスの歴史や起源を深掘りして紹介しましたが、実際にどのようなルールか気になった方は多いでしょう。なんとなくは知っていても、細かいルールまでは難しくて知らないこともたくさんあります。
ルールやカウントの歴史を知って、テニスのルールを知ると、さらに試合が楽しめるでしょう。ぜひこちらを読んで硬式テニスのルールを学んでください。

硬式テニスのルールまとめ!試合の進め方や勝利条件を簡単&わかりやすく解説!
硬式テニスは五輪でも大注目の競技となりそうですが、楽しく観戦するためにルールを覚えてみませんか。硬式テニスのルールの覚え方として、得点の構成...














