紅葉狩りとは平安時代の貴族の文化
秋の行楽シーズンには各地の紅葉スポットが紅葉狩りを楽しむ人でにぎわいます。周囲が紅く染まる様は目を見張るほどの美しさで、色彩に乏しい冬に移行する季節だからこそより鮮やかに観えるのではないでしょうか。
ところで疑問なのが「狩り」という言葉です。本来ならば「紅葉狩り」ではなく「紅葉鑑賞」などの表現が正しい気がします。そこでなぜ狩りなのか?などの疑問について、紅葉狩りの語源などの解説と共に詳しくご紹介ます。(この記事は2021年8月19日時点の情報です)
紅葉狩りとは?①:「もみじ」の種類
紅葉(もみじ)とは何を指す?
「もみじ」といえば広葉樹のイロハモミジやヤマモミジ、ハウチワカエデにイタヤカエデなどと数多くあります。しかし本来の紅葉狩りのモミジとは、読みどおり紅く色づく「イロハモミジ」「ヤマモミジ」「オオモミジ」のことを指していました。
ところが名前にモミジとつく樹木も「モミジ属」の樹木はなく、紅葉する樹木はすべて「カエデ属」に分類されるのです。モミジとはカエデのことを指し、両者を分類する定義はありません。
モミジはカエデの名前も持っている
モミジとカエデを分類する定義がないことから、実際に日本で一番多く観られるイロハモミジを別名の「イロハカエデ(いろは楓)」と呼ぶ人もいるのではないでしょうか。先述したようにイロハモミジとは「ムクロジ科カエデ属」のため、定義的に合っています。
葉は5つから7つに裂けているように見えますが、イロハモミジの"イロハ"とは、昔の数え方である「いろはにほへと」と数えたことが由来のようです。
イロハモミジとヤマモミジの違い
紅葉狩りでも人気のヤマモミジとは、イロハモミジによく似ている、葉の大きさがイロハモミジよりも一回り大きくて葉が7つ~9つに裂ける広葉樹です。イロハモミジが福島から西の地域にしか分布しないのに対し、ヤマモミジは北海道にも分布するという違いも特徴です。
分類でヤマモミジとは「カエデ科カエデ属」となり、イロハモミジのムクロジ科ではありません。イロハモミジやオオモミジの亜種または変種とされることもあります。
オオモミジの特徴
オオモミジとは「カエデ科カエデ属」のイロハモミジの変種とされており、北海道も含めて日本列島全域で観られます。名前の読みどおり葉はイロハモミジやヤマモミジよりも大きく7~10センチ・幅7~9センチもあり、基本的に7つに裂けるのも特徴です。
葉の縁が二重にギザギザしている(鋸歯)イロハモミジやヤマモミジに比べると、オオモミジの鋸歯は均等に並んでいる点も異なります。
紅葉狩りとは?②:「もみじ」の語源
「もみじ」の語源は「もみづ」
三省堂古語辞典の解説によると、紅葉狩りの「もみじ」の古語は「もみぢ」です。「もみぢ」とは、"紅葉する"という意味の動詞「もみづる:紅葉づる」が由来の名詞です。そのため同じダ行の「ぢ」が使われています。
「もみぢ」が「もみじ」に変わった理由とは1946年制定の「現代かなづかい」にあります。違う発音だった「じ」と「ぢ」は書き分けられていましたが、次第に発音が混同されるようになったことから統一されたそうです。
『万葉集』に登場する「もみぢ」
「もみぢ」という言葉は奈良時代末期の『万葉集』でも登場します。しかし「紅葉」ではなく「黄葉」と書き、しかも「もみち」と表現され、読み方も異なるのです。
「秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山道しらずも」とは、解説では紅葉を擬人化した柿本人麻呂の歌です。また「秋山に落つる黄葉ばしましくはな散り乱れそ妹があたり見む」とは悲しい情景を表した内容と解説されています。いずれももの悲しさを紅葉で表現した歌です。
『古今和歌集』に登場する「もみぢ」
平安時代中期の『古今和歌集』でも、紅葉狩りの主体を成す言葉「紅葉(もみぢ)」とは擬人化したもので、人の心の動きを間接的に表現しているといえそうです。
『古今和歌集 巻第五 秋歌下(二五四)』の「ちはやぶる神なび山のもみぢ葉に思ひは懸じうつろふものを」とは、"もみぢ"を人の気まぐれな心に例えたと解釈できます。当時の人も現代人も同じように、人情とは紅葉のように移り変わるものと捉えていたと解釈できそうです。
紅葉狩りとは?③:紅葉狩りの歴史・由来
平安貴族の遊びだった紅葉狩り
現在の紅葉狩りとは、日本では紅葉狩りのシーズンに誰もが気軽に近くの公園や野山に出かけて鑑賞できる行為ですが、そもそも誰が始めた行事なのか?という疑問が湧きます。
遡ると紅葉狩りとは、平安時代の貴族の遊びとして始められた行為だったそうです。貴族の生活とは対照的に庶民は生きるのが精一杯だったことが歴史からうかがえ、紅葉狩りとは一部の恵まれた人たちの贅沢な行事だったといえるのではないでしょうか。
豊富秀吉も企画していた紅葉狩り
「醍醐の紅葉狩り」とは豊富秀吉が、「吉野の花見」と「醍醐の花見」の後に企画した幻の行事です。秀吉が企画した年に62歳で亡くなったため実現されませんでした。
もみじと調和した美しい景色の醍醐寺の三宝院庭園とは、1598年に秀吉が小堀遠州の弟子である賢庭らに設計させたといわれている庭園です。天龍寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈恩寺(銀閣寺)そして醍醐寺の三宝院が京都にある特別史跡庭園に指定されています。
江戸時代中期に庶民にも定着した紅葉狩り
紅葉狩りとは本来、由来となった平安時代はもとより戦国時代でも庶民には手の届かない行事でした。現代のような紅葉狩りが庶民にも広がったのは江戸時代中期とされています。
『都名所図会』とは当時のガイドブックですが、これによって伊勢神宮参拝の伊勢講や熊野詣が庶民の間でブームになりました。『都名所図会』に花見の名所と併せて紅葉の名所も載せたところ、多くの人が出かけるようになったのです。
江戸の紅葉狩りと京都の紅葉狩り
当時にぎわった紅葉狩りの名所とは、江戸では"もみじ寺"と呼ばれた浅草の「正燈寺(しょうとうじ)」や、当時の歌謡曲である端唄にも登場する品川鮫洲の「海晏寺(かいあんじ)」でした。
当時の京都の紅葉狩りの名所とは、今も紅葉狩りの名所である「高雄山」です。奈良県の紅葉狩り名所は、当時も現在も法隆寺がある斑鳩町の「竜田川」があげられます。竜田川とは、生駒市内から始まって斑鳩で大和川に注ぐ一級河川です。
紅葉狩りとは?④:諸説ある「狩り」の意味
ところで「狩り」とは?という疑問も湧きます。「紅葉狩り」の「狩り」という言葉は大型動物を狩る行為を指していました。しかし意味が拡大解釈され、狩りは貴族が鷹などの小動物を遊びで捕まえることを指すようになったのです。
さらに、現代も踏襲されている果物狩りとは木の実などの収穫を行楽化し、「狩り」が使われるようになったのです。やがて平安時代の「狩り」とは草花などの自然鑑賞の意味でも使われる言葉になりました。
Ⅰ.紅葉鑑賞を「狩り」に見立てた貴族
紅葉狩りは猟を行う必要のない平安時代の貴族が始めたとされていますが、自然鑑賞がなぜ狩りか?というと、背景に平安時代の貴族のプライドがあるようです。
当時の日本で紅葉とは身近な場所では生えず、野山に行かないと観られないものでした。しかし当時の日本で歩く行為は野蛮なことと見なされていたのです。そこで、「狩り」という名目にして紅葉鑑賞をする「紅葉狩り」という言葉が考え出されたのではないかと推測されます。
Ⅱ.紅葉を手に取って鑑賞していた貴族
現在の紅葉狩りとは紅葉を眺めて終わることを指しているといえます。しかし平安時代の貴族は少し違っていたようです。なぜ狩りなのか?という疑問に対するさまざまな解説があり、紅葉狩りとは「実際に紅葉の枝を手折って、じっくり自然の芸術を鑑賞していた」との解説があります。
紅葉の枝を手折るという行為は樹木を対象にした狩りそのもののため、この意味でいえばまさに狩る行為なため紅葉狩りという言葉が適切といえそうです。
現代は枝を手折るのはNG!
本来紅葉狩りとは風雅な遊びで、ごく一部の高貴な人にだけ認められていた行事です。誰もが楽しめる現代、自分が所有していない公園などにある樹木の枝を手折る行為はマナー違反のため、絶対にしないように気を付けましょう。
現代の「紅葉狩り」とは紅葉を鑑賞するだけのものですが、無駄に樹木を傷つけないのはもちろん、手づくり愛好者がしているように落ち葉を押し花にしたりモビールにしたりなど楽しんではいかがでしょうか。
Ⅲ."鬼女"を討伐する意味の「紅葉狩り」
紅葉狩りの伝説とは、長野県別所温泉に伝わる平安時代の恐ろしくも悲しい伝説です。源経基の寵愛を得て妊娠した「紅葉」は同じ頃に正妻が病にかかり、その原因が紅葉のせいにされたのです。
京から鬼無里(きなさ:現長野県戸隠山)に追放された紅葉は、京へ戻りたい一心で軍資金を得るため村を荒らしました。しかし「鬼女」と呼ばるようになったため討伐されてしまったのです。なぜ狩りか?という疑問のシンプルな答えといえます。
伝説の意味するものとは?
鬼女の名前を「紅葉」とした理由を解説しているものは見つけられませんでしたが、"変化"がキーワードになっていそうです。落葉広葉樹は青葉から鮮やかな紅色や黄色に変化します。やがて枯れ葉となり地面に散っていくのです。
例に出すまでもなくこのサイクルは植物だけではなく、人間の一生に例えられてきました。伝説の「紅葉」も寵愛が欲しいがゆえに優しい心を忘れ、枯れ葉のごとく変わり果てたと捉えることができそうです。
紅葉狩りとは?⑤:日本の紅葉が美しい理由
北半球で紅葉するカエデ属は約200種
落葉広葉樹が赤や黄色に染まる紅葉は、もちろん日本だけではなく北半球であれば多くの温帯地域でカエデ属の紅葉を鑑賞できるのです。
地域がまたがるケースもあるため単純計算はできませんが、合計で約150~200種類ともいわれています。ある解説では、日本では約30種、中国などのアジア地域全体でで約110種、北米は約25種、欧州は約30種です。日本は特に紅葉が美しいといわれており、幾つかの理由があります。
カエデ属は乾燥に弱い
カエデ属は乾燥に弱く、暖かくて湿潤な気候がカエデ属の生育に適していたといわれています。北半球地域は高い山や雨の多い地域があるため、カエデ属の分布が広がったと考えれらているようです。
ちなみに南半球で自生しているカエデ属はインドネシアにある「クスノハカエデ」といわれています。クスノハカエデとは光沢のある常緑樹となり、元々の自生地では個体数が減少して絶滅が心配されている珍しい植物です。
日本の紅葉が美しい理由
紅葉の美しさは日本が世界で一番といわれていますが、その大きな理由は、落葉広葉樹の「種類」、「気候と地形」の2つにあります。落葉広葉樹の種類は全世界のカエデ属の半数以上は日本と中国にあり、面積当たりでいうと日本が世界一なのです。
日本に落葉広葉樹が多い理由は温暖で湿潤な気候に加えて、氷河期に生き残れたからともいわれています。温暖な海岸地域の気候や3,000メートル級の山々の地形が影響しているようです。
針葉樹とのバランスが絶妙
紅葉狩りに出かけたときに美しいと感じる景色は、落葉広葉樹で一面が紅く染まった景色もですが、針葉樹に混じった広葉樹の景色も惹きつけられます。マツやスギ、ヒノキなどの緑と落葉広葉樹の赤や黄色は補色関係にあり、目に焼き付けられるようです。
現在日本の針葉樹のほとんどは、残念ながら原生林ではなく植林されたり間伐されたりした人工林と天然生林といわれています。しかし紅葉狩りを楽しむためにも大切にしたい風景です。
紅葉狩りとは?⑥:紅葉がテーマの芸術作品
横山大観や東山魁夷らの作品
日本画の代表的な作品は、横山大観の『紅葉』(1931年)や東山魁夷の『照紅葉』(1968年)、奥田元宋の『玄溟』(1978年)などがあげられるのではないでしょうか。闇に浮かび上がる紅葉や夕陽を浴びる紅葉、靄がかかったようにかすむような紅葉など、それぞれの紅葉が楽しめます。
いろいろな地域に紅葉狩りに出かけるのも楽しいですが、紅葉狩りのシーズンには美術館で芸術家の眼を通した紅葉狩りもおすすめです。
後藤純男『秋の談山神社』
現代の日本画家では1930年生まれの後藤純男があげられます。紅葉をテーマにした作品は奈良県の談山神社が舞台の『秋の談山神社 多武峰』(1995年)です。談山神社とは中大兄皇子と中臣鎌足の談合で有名な多武峰にある、紅葉シーズンは大勢の人でにぎわう観光地です。
多武峰とは昔から紅葉の美しいことでも知られており、燃えるような紅葉を背景に大化の改新を企てた二人の燃えるような意志が二重写しに見えてくるようです。
紅葉狩りをして季節を愛でよう!
かつて紅葉狩りとは、平安貴族を始めとする一部の人たちだけの行事でした。なぜ狩りなのか?というと、高貴な人が野山に出かけるのは野蛮なことだったため、鷹狩りなどの行事の一つとして名目上「狩り」としたのではないかと解説されています。
本来「紅葉(もみじ)」とは、"紅葉する"の古語「もみづ」が語源であり、元々発音の異なる「もみぢ」と表記していたそうです。紅葉狩りの豆知識としてぜひ頭の片隅に置いてくださいね。
紅葉狩りスポットが気になる人はこちらをチェック!
紅葉狩りの語源の由来や歴史などについてチェックしたあとは、ぜひ関東屈指の紅葉スポットも確認してみませんか。地域別に紹介されてあるので、一か所だけではなく同じ地域の紅葉狩りスポットを複数巡るのに便利ですよ。
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出典:photo-ac.com