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バレーがご先祖様?優雅な演技が魅力の「新体操」の歴史を紹介!実は男子もあります!

東京オリンピックで活躍し、国民が新体操の美しさを再確認した「フェアリージャパン」は、新体操の女子日本代表です。新体操は歴史も浅く馴染みが少ないスポーツですが、新体操には女子以外にも、男子新体操があるのはご存知でしょうか?今回は男女新体操の歴史を紹介しましょう。
2021年11月3日
おわっシー
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目次

新体操とは

新体操は体操の一種で、男女とも床運動のマットと同じ広さの競技面を使って、音楽に合わせて軽快に演技を競います。男子団体競技はダイナミックにアクロバットを、女子は全員が手具を手に持ち、操りながらバレーを舞うがごとく演技するのが特徴です。

新体操の団体競技は、音楽に合わせて競技を実施しますが、男女で競技内容に違いがあります。女子は、指定された手具を操り、1チーム5人で息の合った華麗に演技するのに対し、男子団体競技は手具は使わず、タンブリング中心のダイナミックな演技を行うのです。

新体操の成り立ちは男女で違う

女子の演技と違い男子団体競技が、タンブリング中心の演技を行うのは戦後の徒手体操から発展したスポーツだからです。手具が一部違うことも、成り立ちや歴史が違うことに起因します。

女子新体操の歴史は旧ソ連時代の、ロシアのバレーにあると言われています。作品と調和がとれた音楽を背景に、床の上をまるでバレーを舞っているかのように、リズミカルにジャンプしたり、回転しながら手具を操るなど、手さばきや芸術性を評価される競技です。

女子新体操の歴史

女子新体操の始まりはロシアから

女子新体操の歴史は、古くからロシアに伝わっている、コサック舞踏の影響を受けたバレーなどから派生したと考えられています。また、ドイツに残っている歴史では、手具を使った体操が行われていた記録があるなど、新体操には2つ起源説が存在しているのです。

本来体操は、科学的基礎の上に「組織体系づけられた健康法」ですが、次第に、しつけや訓練の手段として形式化されました。この結果、無味乾燥で面白く無いものだったのです。この形骸化した体操に挑戦し、「人間の自然性を尊重」した運動が起こりました。

苦痛を強いる「運動」から自由に表現できる「新しい体操」の誕生

生命と喜悦への体操へと、脱皮しようとして起こったのが「新しい体操」ですが、この社会的な運動や人々の叫びの多くは女性から起きたものです。すなわち「体操」を誕生させる運動は「女性たちの手によって、成立を見た」と言っても過言ではないでしょう。

つまり「体操」は、それまでの苦痛なほどの単なる運動から、「女性自らが、女性を自由な魂の叫び」から解き放った新しい社会的な運動で、女性たち自身たちが作りあげた、女性向けの「体操」の誕生だと言えるのです。

学校での体力作りから、「競技」するスポーツへ

体操に対する考え方は時代と共に変わり、現在は体力作りの主役として、動き作りの本命として、学校教育の中で確立した位置を占めるようになりました。内容は拡大され、生活に必要な全ての動きの形式や、方法を含んだ多彩なものとなったのです。

こうした女性特有の「動きの体操」を中心とした競技をしようといった機運が高まった結果、昭和38年に第1回の新体操世界選手権大会が、ハンガリーのブダペストにて開催されました。これが「体操のスポーツ化」で、「新体操競技」の歴史的な始まりと言えるのです。

1963年世界選手権・1984年五輪から歴史の舞台

新体操が知名度を向上したのは、1963年ブダペストの世界選手権大会からです。この大会から歴史的な広がりを見せ始めました。新体操の歴史の始まりと伝えられる芸術体操は、1930年代の旧ソ連で栄え、次第に競技性があるスポーツへと発展を見せたのです。

1963年に開催した”第1回世界体操選手権ブダペスト大会”から、「女子体操の新しい方向」へと導く新競技として、初めてFIGの種目に認められました。新体操はこの大会をきっかけにして、スポーツの歴史の表舞台へと登場する事となり現在に至っています。


歴史に刻まれた「魅力溢れる」女子新体操

女子新体操の最大の魅力とは、リズミカルでいて、自然とも思える動きや、音楽に合わせたバレーのごとき独創的かつ個性豊かな演技です。その人気は大会を重ねるごとに盛んとなり、オリンピックの歴史にその名を刻んでいると言えるでしょう。

発展は順調で、1984年の第23回ロサンゼルスオリンピックから、女子の個人総合が正式種目として認められました。このことを皮切りに、1996年のアトランタ大会から個人に加え団体競技も正式種目に認められ、新体操は歴史的瞬間を迎える事となったのです。

新体操の歴史的発展は世界選手権とオリンピックから

国際的なスポーツ大会でもある、ユニバーシアードや、ヨーロッパ選手権大会、ヨーロッパ以外の国々で開催の四大陸選手権、そしてアジアで開催されるアジア大会でも、女子新体操は団体競技も個人競技も毎回のように開催されるようになりました。

1984年に開催の第23回オリンピック・ロサンゼルス大会から、女子新体操の個人総合が正式競技種目に追加されました。この大会から日本も参加し「日本新体操の歴史的な出発点」となって、現在のような活躍を期待されるスポーツに成長しているのです。

男子新体操の歴史

「軽快さ」が魅力の男子新体操


男子新体操は、スポーツの歴史から判断しても、我が国独自で発祥したスポーツと考えられ、終戦後に拡がりを見せたようです。戦後、全国的に新体操が盛んになり、高校総体や全日本学生新体操選手権大会、全日本新体操選手権大会などでも開催されました。

残念ながら「大分国体」を最後に、国民体育大会の歴史の舞台からは消えています。国体から除外の理由は競技人口の減少で、当時の日本の選手人口は1400人程度と記録が残っていますが、2018年のFIGの競技種目の中から見出すことはできません。

 

新体操の歴史はアメリカからの「組体操」

日本にもたらされた「相互幇助体操」は、明治11年にアメリカ人のリーランドによってもたらされました。この体操は二人以上の人が組んで、お互いに力を貸したり、体重を利用し合ったり、体の特質や技術を提供し合う、個人では得られない効果を狙う「組体操」です。

運動量も多く、補強、矯正、適応、協調、巧ち性などの多面的な側面をもち、常に相手の体や動きを考慮し、注意する事が重要なのです。この体操の特徴は、相手の長所・短所を認識できると同時に、自分の特徴も認識できる点が優れているのです。

「組立体操」と「組体操」が男子新体操のルーツ

男子の新体操の起源が、戦後の徒手体操にあるといった説もあり、現在は男子新体操は「徒手体操」からの発展したスポーツであると信じられています。しかし「徒手体操」以前に国内で盛んとなった「組体操」と「組立体操」を忘れてはいけません。

歴史的に国内に拡がった体操で、運動会などでは定番メニューともなった「組立体操」です。「組体操」と共に全国の学校の体育行事に取り入れられ、特に運動会で大勢の父兄の前で、みんなを喜ばせ、おおきな拍手をもらっていました。

テレビ放映がきっかけとなった男子新体操

男子新体操が認知された歴史的な出来事は、TVのバラエティ番組です。2010年にはドラマで放送され、この年に有名なシルクドゥソレイユから声がかかるといった歴史的な出来事がありました。そして2011年のワールドツアーからプログラムに参加しています。

2016年のリオ五輪の閉会式で、青森大学の選手たちがパフォーマンスを行い、世界に向けて男子新体操のアピールを行いました。新体操が注目されるに従い、男子新体操はここ十年ほどで凄まじい進化と変化の歴史を歩んでいるのです。


我が国での男女新体操の発展

歴史的な名称変更

新体操の前身の「団体体操」は戦後の昭和22年当時は、男女共に実施された歴史を持ち、一般国民に親しまれていました。1967年に開催された世界新体操選手権に派遣された視察員により、競技名の名称変更が検討された結果「新体操」に変更されました。

女子の新体操は「体操競技の女子部門の一部」として扱かわれ、「手具を持って行う集団演技」とされていました。この種目はメルボリン・オリンピックの開催を機として廃止されましたが、その後「新体操」として独立発展させて今日に至っているのです。

「一般体操」は日本独自の体操競技

日本には以前から「一般体操」「団体徒手体操」等の名称で、男女で行う集団演技やマット運動がありました。この「一般体操」や「団体徒手体操」は、体操競技とは別のものとして存在しており、団体種目として扱われていたのでした。

この競技が独自な発展を行い、昭和48年(1973年)の静岡インターハイ以降は、「新体操」と呼ばれはじめました。こうして日本独自の「男子新体操」は現在も残っており、当時は日本にしか存在しない日本特有の体操競技だったのです。

「世界新体操選手権バルナ大会」で果たした歴史的快挙

「組体操」のDNA「集団による協力や協同、援助、連携、支え合い」と言ったものが、「男子新体操の団体徒手」に引き継がれ、現在んの、ダイナミックなタンブリングが加わった「男子新体操」へと、新しい歴史の展開を見せているのです。

「新体操」の名は1968年に開催された、全日本体操選手権大会から使われ初め、これが新体操の歴史的な転回点となりました。そして1969年開催の第4回「世界新体操選手権バルナ大会」に初出場した女子新体操が、団体総合5位という歴史的快挙を果たしたのです。

男子手具のルーツはコサックの武芸ダンス

男子新体操の歴史を辿れば、戦後の日本の各学校で行なっていた徒手体操と言われています。ただクラブなど手具を操る様は、徒手体操とは違う競技に感じられます。コサックの武芸ダンスで、剣で舞い踊る姿は、男子個人演技の手具の動きに近いと思われるでしょう。

女子新体操が使っている手具は、リボン・フープ・ボールなど、すべてに特有の女性らしさがありますが、男子の手具からはロシアの武器の歴史が感じられます。スティックは剣そのもの、ロープは長鞭で、クラブは棍棒といった武器の使い方に似通っているからです。

男女独自の発達を遂げた我が国の「団体体操」

ヨーロッパを中心に起こった新体操は日本に移入され、我が国独自で行なっていた「団体体操」に入れ替わったのです。この「団体体操」からの新体操への移行は特筆すべき事実です。「団体体操」から「新体操」へと抵抗なく受け入れられました。

結果、我が国の女子新体操チームは昭和44年に開催されました。そして、第4回世界選手権大会に初めての参加を果たして以来、毎回出場を果たています。そして、我が国体操界に堅実な歩みを残しているのです。

男子新体操の海外への進出

男子新体操を海外にも広めるべく2000年からは、本格的に海外に指導者を送って活動を進めてきました。その結果2003年には、日本、マレーシア、韓国、カナダの4か国が国際大会に出場することになりました。

やがて2005年にアメリカ、オーストラリア、ロシアが追加加盟を果たし、新体操は国際的な競技へと昇格することができたのです。これをきっかけとして、男子新体操をFIGの正式な競技種目へといった運動の輪が広まっています。

「魅せるスポーツ」へ進化する新体操

見せる美しさと調和を求めて


かってはランニングパンツ+長パンだった試合着も、フィギュアスケートのようにきらびやかになり、手具までも芸術性が高いものを使う選手が増加しました。表現スポーツ、芸術スポーツであるという意識が強まり高まって来たのです。

進化したのは外見だけでなく、新体操は歴史的な転換点を迎えています。2004年頃から新体操の大会もスプリングマットの使用が認められました。それ以後、体操選手さながらの高難度なタンブリングをこなす選手が増加し、見る楽しさも倍加してきているのです。

レオタードも歴史的な進化を遂げる

競技の着衣は、正しい体操用のレオタードを着用するが、不透明な生地でなければならないと決められています。また身体から足まで密着しているものであれば、長い長さで足首まであるタイツや、胴からくるぶしまである長いレオタードの使用もOKです。

団体競技の場合は、全員が同じものを着用しなければならないと決目られていますが、アクセサリーは勿論の事、ピアスなどの類は一切認められていません。一般的にあまり知られていませんが、多くの選手のレオタードは選手自身の手作りが多いのです。

歴史的な変化は、手具の呼称変更にも

手具にも名称の変化の歴史があります。ボールはボールのままですが、ロープの変更前は「縄」、フープの変更前の名称は「輪」です。リボンの名称変更前は「帯状布」、クラブは「こん棒」から名称変更があったように、手具にも名称変更の歴史がありました。

他の名称を持った手具もありました、健康や体力維持の目的で使われていた手具などです。それは「棒」「アレイ」「半輪」「太鼓」「旗」などで、これらの手具は競技目的以外の運動能力を高める目的で、リボンのような華やかさはありません。

まとめ

最後までおつきあい頂きありがとうございます。新体操の歴史を中心とした記事を書いてみました。どんな国も歴史があり、どんな人も歴史を刻んで歩いているのです。国に歴史があるように、それぞれのスポーツや、それぞれのルールにも歴史が残っているといえます。

今回のテーマである新体操の演技で必要な手具にも、実は歴史がありました。また女子新体操がロシアやドイツが、歴史の源である事もお知らせしましたが、男子新体操の歴史の始まりは、日本の徒手体操にあったとは驚きです。

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