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エベレスト登頂の立役者「シェルパ」を解説!危険な仕事内容から生活環境までご紹介!

世界の屋根ヒマラヤ登山においては、欠かすことができない存在感を示すのがのがシェルパです。登山家たちをガイドするシェルパと呼ばれる人たちは、高地生活に順応した経験によって、登山家たちの山案内人として活動しています。シェルパたちの仕事内容や生活環境をご紹介します。
2021年5月14日
Meigen Oka
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目次

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シェルパとは

Photo byvikaskhare1

シェルパとは、ネパール東部の標高3,000mを超える高地のソルクンブ郡に居住して生活をしている少数民族の名称であり、ネパール総人口の約0.5%を占めます。チベットの方言を元にしたシェルパ語を言語としています。

シャルパ族は、元々高所に生活していたために、高地に順応した身体能力を活かして、エベレスト登頂を目指す登山隊の荷物などを運ぶ仕事や案内人として雇われる様になり、シェルパ族は山岳ガイドの名となりました。

ヒマラヤ登山をサポートするシェルパ

これらシェルパ達が居住する山岳地帯は、世界的な高所トレッキングブームとなる観光地化しており、登山シーズンには一大観光資源の一旦を担っているのです。ヒマラヤ登山においては、シェルパの存在はとても重要です。

シェルパは、登山家よりすごい体力と知識を有し、世界の屋根と呼ばれるエベレストを始めとするヒマラヤ山脈登山や、大ヒマラヤトレイル(ヒマラヤ山脈尾根を東西に歩くトレッキングルート)を荷物の運搬やサポートをします。

シェルパ民族の歴史

Photo byorangetigra

シェルパ族は、元来チベットでも東部地方において貧しい農耕生活を強いられていたのですが、17~18世紀頃にヒマラヤ山脈を越えてネパールの北部、標高3,000mを越えるクンブ地方に移住したとされています。

しかし問題となったのは、移住したネパールの地は、山岳地帯の高地であったために農耕は難しく、19世紀頃までは遊牧を主な生業として、他の地域に暮らす民族間での交易をしながら生活をしていました。

ポーターとして雇用

20世紀後半頃になると、ツアーなどによる商業的登山が盛んとなり、エベレスト登頂を目指すヒマラヤ山脈への登山やトレッキングなど、山岳風景を楽しむ観光や登山客が訪れる様になりました。

登山者は大量の装備や食料を運び込んできます。シェルパ族は、高地に慣れた身体的特徴とトレイルなどを熟知していることから、その様な荷物を運ぶポーターとして雇われる様になりました。

山岳ガイドへの変遷

Photo by12019

登山隊のポーターとしての目を見張る活躍があったことによって、次第にシェルパの存在がヒマラヤ登山には不可欠なものとなり、シェルパの名は、ヒマラヤ登山の重要なサポーターを指す代名詞として、登山家の間に知られる様になったのです。

シェルパ族が脚光を浴びる様になったのは、1953年イギリス登山隊の一人エドモンド・ヒラリーがシェルパのテンジン・ノルゲイと共にエベレスト初登頂に成功した時からです。以降、ヒマラヤへのツアーによるトレッキングが盛んとなりました。

見出されたガイド技術


Photo byglorioushimalaya

ポーターとして培った登山技術によって、次第に山案内人(ガイド)としても重宝され、登山ツアーなどに雇われる様になっていきました。その後、各国がエベレスト登頂登山隊の派遣については、ルートなどの意見を求められる存在になったのです。

現在では、発達した機器により気象情報の事前把握ができたり、軽量酸素ボンベの普及により、また、必要な装備品の近代的なレベル向上などによって、登山の安全等が確保できる様になりましたが、シェルパの蓄積された経験や知識は必要とされ、今もって重要な役割を担っています。

危険が伴うヒマラヤ登山

エベレストを始めとする、ヒマラヤの高山での登頂やトレイルトレッキングには、通常の山に登るのとは違いもあり問題点もあります。標高が高くなるにつれて気圧が低く、酸素も平地よりも極端に薄くなることから、高山病に罹りやすくなるのです。

その様な状況の場合は、高地順応に対応するために特別な訓練をして、徐々に身体を馴染ませる必要性があります。8,000mを越えると、もうそこは死一歩手前のデスゾーンと呼ばれ、体力が消耗する前に、頂上アタック後はすぐに下山しなければなりません。

シェルパの活動とは

Photo bySquirrel_photos

20世紀後半頃からヒマラヤトレッキングを楽しむ諸外国人が増えてきました。シェルパ族の人々は、そういった観光目的とした旅行者や登山家たちの装備品などの荷物運びに雇われていました。その後、シェルパの高地に即した高い身体能力と登山技術が評価されたのです。

やがて、ヒマラヤ登山にはシェルパを伴うことが原則と言われるほど重要な位置づけとなったのです。シェルパにとっては大切な現金収入を得られる仕事となった訳ですが、問題は大きな危険を伴うことも事実で、多くのシェルパの命が失われています。

シェルパの仕事

Photo bySimon

シェルパの仕事としては、登山ルートなどを主に案内する”山岳ガイド”と、麓のトレッキング観光を目的とする客の荷物運びを主にする”ポーター”に別れます。山岳ガイドは、ヒマラヤを訪れる登山家よりも知悉(ちしつ)した実力を備えていることがポーターとの違いです。

ポーターは、外国登山隊がヒマラヤのピーク登頂のために設営するベースキャンプから高地のアタックキャンプ地間を、重さ約20~30kgの食料や資材の荷物を背負って何度も往復するという、体力を活かした運搬の仕事を主に行ってサポートします。

シェルパビジネス

ヒマラヤ登山やトレイルトレッキングには。山岳ガイドとポーターを同行する事が義務付けされています。現在ではシェルパを斡旋(あっせん)する業者が複数あり、山域によって割り当てられています。

シェルパを斡旋する各業者には、1,000人ほどの人数が所属していると言われ、近年では多数の女性のシェルパも活躍している模様です。山岳ガイドのなかには、国際山岳ガイドの資格を有しているものもいます。

シェルパの生活環境

Photo byantriksh

チベットからネパールの高地に移り住んだシェルパ族は、山岳の寒冷な地域であるために、耕地はジャガイモしか作れず、放牧や他の地域との交易で細々と生活していましたが、後にヒマラヤ登山ブームとなって生活も一変します。

ヒマラヤ地方で気候の良い10月・11月、3月~5月の乾季にはヒマラヤトレイルトレッキングや登山客が多く訪れることから、シェルパの男たちは家を離れポーターや山岳ガイドの仕事が主になり、残された老人、女性、子供たちが畑仕事や放牧に従事します。


最近の状況

Photo byhannahmilward

最近ではシェルパの居住地域は観光地化されてきて、ホテルなども建設され、年間を通しての一大リゾート産業となっています。エベレスト登山の拠点とされる標高3,440mナムチェバザールは、ネオンを灯した飲食店や銀行ATMも出現しました。

シェルパはポーター(荷物運び)の代名詞ともなっていましたが、最近は他の地域に住む民族もポーターの仕事を請け負う様になっています。裕福になったシェルパは、厳冬期には首都カトマンズに居宅を構えて暮らす人もいる様になってきました。

チベット仏教信者

山岳ガイドによって得た現金収入によって裕福になったとはいえ、常に死とも背中合わせの仕事であることから、元々信仰を続けてきたチベット仏教の熱心な信者で、毎日祈りを捧げている信仰心は、昔から違いがない生活様式の一部となっています。

災いを払い、幸福を招くために、チベット仏教の寺院から僧を招いて、時折祈祷を行い、生活環境が変わっても厚い信仰心は変わってはいないのです。

シェルパを襲った悲劇

Photo bynitli

シェルパの仕事は、登山客や観光客の増減があったり、仕事を獲得する競争もあったりもしますが、ネパールの平均収入よりも高い実収入が得られると同時に、死を伴う危険とも隣り合わせなのが問題点なのです。

危険な仕事にも関わらず、シェルパへの保険などは未だに整っていないのが現状。天候急変による遭難や雪崩事故も多く発生しています。2014年には大規模な雪崩に遭遇して16名のシェルパが亡くなった痛ましい事件も起きました。

事件発生

その前年の2013年には、シェルパの意見を聞かず、暴言を吐き続けた登山家グループとの乱闘事件も発生しました。登山が商業化しすぎて、登山に対する精神(モラル)の欠如のよるものだという意見があります。

シェルパ基金とは

Photo bySimon

シェルパ基金は、登山ガイドの仕事中に不慮の事故に遭い、命を落としたシェルパの遺族、主に遺児たちの教育機会を支援するために2002年に設立され、基金を集めるための国際的な活動になります。

シェルパは主に一家の大黒柱である男性が担うもの。一番の働き手を事故などで失ってしまうと、収入源が無くなってしまい、残されたもの達は困窮に晒されます。遺児たちの学業のサポートなどを行っています。山でしか生活できないシェルパへの補償制度が未だに確立されていない現実があるためです。

困難なシェルパへの補償

ネパール政府はヒマラヤへの登山に対して、1シーズンに3億円以上の収入となる入山料を得ていると言われています。それに対してもシェルパへの補償は納得のいく制度とはなっていないのが現状です。

2014年の遭難事故の補償を不満として、登山隊の協力へのストライキを敢行する事態に発展したのです。そのために、多くの資金をつぎ込んで到着していた多数の登山隊が、エベレストなど登頂を断念せざるを得ませんでした。


日本のシェルパ

日本でも上高地で猟師を生業として、日本近代登山の父と呼ばれた、ウォルター・ウェストンを北アルプスにおいての道案内をした上條嘉門次氏が知られていますね。山小屋などに荷揚げをする“強力(ごうりき)”と呼ばれていた人たちもいました。

現在はヘリコプターで物資を届ける様になったことから、強力さんはほとんどいなくなりましたが、群馬県の湿原地帯の尾瀬では、生態系保全のために、今でも歩荷(ぼっか)と呼ばれる人が“背負子(しょいこ)”に50~100kgの荷を乗せて運んでいます。

伝説の強力

強力は、新田次郎氏の小説「強力伝」にも詳しい記述がされていますが、白馬岳山頂に設置する展望図指示盤(風景指示盤)の巨石(五十貫:187.5kg)を運び上げた逸話です。富士山や立山などでも活躍していました。

強力伝

出典:Amazon

まとめ

Photo byAdrienBe

今や登山ブームということもあって、グレートヒマラヤトレッキングを目指す多くの登山愛好家が訪れていて、世界的な観光地化しているネパール北部高地のクンブ地方に居住して、トレッキング族や登山隊のガイドやポーターを生業とする「シェルパ」の仕事内容や生活環境、また現状の置かれている立場などをご紹介しました。危険と隣り合わせの仕事ですが、ヒマラヤのエベレスト登頂をサポートする上で必要性のある人たちなのです。

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