鬼怒川温泉の光と影…名温泉街にそびえる廃墟群
東京の奥座敷・栃木県日光市の鬼怒川温泉
栃木県日光市にある鬼怒川温泉は、首都圏から特急列車で約2時間で気軽に行ける距離でありながらも、自然の豊かさ・四季の美しさを堪能できる観光名所です。北関東・栃木県にあり関東圏で人気が高いのはもちろん、日本を代表する温泉地として全国的に有名です。
しかし、実は近年、この鬼怒川温泉は、日本有数の観光地とは信じがたい、ある意外で異質なものが有名になってきているんです。
全国有数の観光地である温泉街・鬼怒川温泉に廃墟群が?
実は鬼怒川温泉は、倒産したホテルの廃墟群があることで注目されています。日本有数の温泉街なのに、超一流の旅館の窓の景色にも朽ち果てた廃墟群が…。高層で立派だったホテルも閉業後取り壊されないまま異様な雰囲気を放っているのです。
これほど立派な建物の廃墟群はなかなかないので、廃墟マニアや心霊スポット狙いの観光客が訪れることもしばしば。マニアでなくとも気になるという人も多いのではないでしょうか。
鬼怒川温泉の廃墟群のある場所は?
温泉街の中心から見えるホテルの廃墟群
鬼怒川温泉は、鬼怒川の両岸にホテル・旅館の立ち並ぶ温泉街です。何と、川の左岸に見えている建物群は全部が廃墟ホテル。栃木・日光の人気観光地として、東京の奥座敷と言われる温泉街のイメージとはかけ離れた光景がそこにあります。
代表的な廃墟の位置ですが、鬼怒川公園駅前の道を南に歩いて行くと廃墟群が立ち並んでいます。鬼怒川の西岸に有名なホテルが立ち並ぶすぐ目の前の対岸、東岸に沿って大きな廃墟群があります。
鬼怒川温泉の廃墟群が物語る歴史とは?
江戸時代から愛されてきた日光・鬼怒川温泉
鬼怒川温泉は栃木・日光の鬼怒川上流部にあります。温泉が発見されたのは江戸時代の1691年(元禄4年)で、日光詣帰りの大名や僧侶等の限られた人のみ利用できた時期もあったそうです。
明治以降は広く一般の人々に親しまれ、次々と源泉が新たに発見されて、1927年(昭和2年)鬼怒川温泉と呼ばれるようになり温泉街が整えられていきました。昔も今も、栃木・日光への観光とともに老若男女に愛されてきた温泉地です。
首都圏に近い非日常…観光の加熱と団体旅行ブーム
1950年(昭和25年)鬼怒川温泉は国立公園に指定され更に発展します。東武鉄道も日光・鬼怒川の観光を盛り上げるべく開発に注力し、1990年(平成2年)には特急スペーシアも運行開始しました。
まさにその頃は1980年代から90年代にかけてのバブル景気。東京から約2時間で行ける非日常、鬼怒川温泉に多くの人が訪れ、社員旅行等の団体旅行ブームの需要に応じ多くのホテルが増築・高層化されたのです。
鬼怒川温泉衰退の理由はバブル崩壊にあった
鬼怒川温泉の黄金時代は、バブル崩壊とともに終わりを告げます。景気は冷えこみ、日光・鬼怒川温泉へ社員旅行をする企業が減り、個々人も、余暇に鬼怒川温泉へ観光しようというゆとりが減ってきました。
残されたのは、そう、多額の投資で築かれた豪華な高層ホテル。空き部屋が埋まらず厳しい経営を強いられることになってしまいます。
いつでも行けるからこそ観光客が減った鬼怒川温泉
バブル景気では栃木の鬼怒川温泉が首都圏から気軽に行けるからこそ人気が出ましたが、バブル崩壊後は行きやすさが裏目に出て、いつでも行けると先送りされる傾向にあったことが鬼怒川温泉から客足が遠のいた大きな理由の一つでしょう。
加えて、飲みニュケーションを大切にする昭和名残の文化の衰退は団体旅行の減少に影響し、スーパー銭湯の普及、家や近場での娯楽の多様化は、温泉旅行客が減った理由として挙げられます。
泣きっ面に蜂!バブル崩壊後に地方銀経営破綻・震災に豪雨まで
ホテル倒産と廃墟群が生まれた理由はバブル崩壊による観光客減少だけではありません。地元経済基盤を支え融資を行なっていた足利銀行の経営破綻(2003年)がとどめを刺すかたちとなったのです。
更に苦境は続きます。2011年東日本大震災に伴う風評被害、2015年の豪雨による水害…自然災害は温泉街の経営に打撃を与えただけでなく、既に廃墟と化していた旅館に物理的なダメージを与え危険性を高めたのです。
鬼怒川温泉の廃墟群を壊せない理由とは?
バブル崩壊から30年近く経って現在も残る負の遺産
鬼怒川温泉のイメージを悪くし危険性も高い廃墟群。ホテル倒産から10〜20年後の現在も廃墟群が解体されない理由は何でしょうか。
実は1棟解体に2億円以上も必要で、国と日光市と所有者が支払う(所有者不在が大半で実際は市が賄う)、つまり市民の税負担になり、現実的に手をつけられない状況になっているといいます。更に温泉源泉が廃墟下にあったり国道が近くにあることも解体を困難にしているそうです。
豪華絢爛なホテルと廃墟群…社会の縮図のような対比
日本を代表する一流ホテルのおもてなし
廃墟群がある一方で、美しく豪華な一流ホテルが印象深い鬼怒川温泉。さすが日本を代表する有名温泉街だけあって、その素晴らしさは圧倒的なものです。
日本の美しさと心からのおもてなしがかたちとなった素晴らしいホテルは、ぜひ一度は訪れたくなる贅沢な空間です。
一流ホテルと廃墟群が同居する温泉街
豪華な一流ホテルのすぐそばにも廃墟群がある鬼怒川温泉の風景は、数々の危機を乗り越え成功した勝者と、社会の流れに翻弄され存続できなかった敗者の対比をまざまざと見せつけるかのようです。
繁栄と隣り合わせの没落…まるで社会の縮図を示すような光景が広がっています。
鬼怒川温泉を代表する有名ホテルの復活劇
閉業の危機から救われ甦ったホテル
素晴らしいおもてなしの空間を提供するホテルの数々は、鬼怒川温泉に起こった数々の危機をうまく乗り越え存続したかのように見えますが、一概にそうとは言えません。
現在、鬼怒川温泉を代表する2つの有名ホテルは、実はかつてバブル崩壊をはじめとする観光客減少で経営が立ち行かなくなり、第三者に救いを求めることで復活を遂げたホテルなのです。
産業再生機構の支援で救われた老舗・あさやホテル
鬼怒川温泉の人気ホテルとして真っ先にその名が挙がる超一流の老舗、あさやホテル。思わず見上げてしまう豪華な高天井の吹き抜けは、贅を尽くすという言葉がぴったりです。
1888年(明治21年)に創業した老舗のあさやホテルは、足利銀行の経営破綻により2004年(平成16年)産業再生機構の支援を受けて再建されました。その後の経営努力により、今や鬼怒川温泉のトップクラスのホテルとして人気を集めています。
有名温泉チェーンに引き継がれた鬼怒川観光ホテル
1953年(昭和28年)に創業した鬼怒川観光ホテルは、2010年(平成22年)大江戸温泉物語の買収により経営権が引き継がれ、生まれ変わって復活を遂げ、人気ホテルとなりました。しかし、鬼怒川観光ホテルのうち東館は再生の対象とならず、現在も廃墟として取り残されたままになっています。
なお、同じ鬼怒川温泉内のホテル鬼怒川御苑も大江戸温泉物語により経営されています。
鬼怒川温泉の廃墟の現在の状況とは?
廃墟を目的に訪れるマニアも多い鬼怒川温泉
バブル崩壊を機に経営が悪化し廃業となった大規模ホテル群が、取り壊されないまま10年も20年も放置されている鬼怒川温泉。世の中廃墟マニアが意外と多いもので、本来の鬼怒川温泉観光のみならず、むしろ廃墟群を目当てに訪れる人は多いようです。
朽ちた建物、散乱する荷物…外観や外から見える内部だけでも怖いと感じる廃墟群は、やはり心霊スポットとしても注目されています。現在、廃墟はどんな状態なのでしょうか。
廃墟1:元湯星のや
鬼怒川公園駅から徒歩3分、南に歩くとまず出くわすのが元湯星のやです。1925年(大正14年)に創業した老舗で評判の良い温泉でしたが、2010年、約80年の歴史に幕を閉じ、閉業後10年が経ちます。
経年劣化で黒く古び、風化して剥がれた壁やひさし、錆び付いた柵…鬼怒川温泉の源泉掛け流しの歴史ある名湯も時代の流れに勝てなかったとは悲しいものです。
廃墟2:きぬ川館本店(かっぱ風呂)
きぬ川館本店は、1942年(昭和17年)に創業し、50年以上の時を超えて愛されてきましたが、1999年(平成11年)に経営破綻し閉業しました。巨額な負債はなんと30億円にのぼったといいます。
かつてはかっぱ風呂として親しまれ、かっぱの絵や人形が今も残ります。閉業以来もう20年以上もそのまま放置され、朽ち果てています。
廃墟3:鬼怒川第一ホテル
団体旅行ブームの需要に応じ増改築を何度も行った大きな建物が印象的な鬼怒川第一ホテル。1980年(昭和55年)に開業し、8種の湯船が楽しめる鬼怒の八湯が特徴的な人気ホテルでした。2008年(平成20年)に閉業し10年以上の時が流れています。
看板が剥がれ、もぬけの殻となった大きなホテルが寂しく悲しい雰囲気を放ちます。
廃墟4:鬼怒川観光ホテル東館
前述のとおり、大江戸温泉物語が買収・立てなおしをした鬼怒川観光ホテル。東館は再起されることなく解体もされず廃墟になっています。1953年(昭和28年)創業、2010年(平成22年)大江戸温泉物語に経営権が引き継がれた時にも管理対象にならず廃墟のまま10年の時が経っています。
こちらも高層マンションのような立派な建物。こんなに大きな棟を複数運営していたとは当時の繁栄はすごいものだったのですね。
鬼怒川温泉の廃墟の注目すべきポイントとは?
バブルの栄華の名残を感じる
廃墟を見ると鬼怒川温泉がバブル期の観光ブームで発展し大規模開発が行われていたのがよくわかります。そしてその栄光は長く続かず、滅び朽ち果てていく…諸行無常・盛者必衰を感じる風景がそこにはあります。
今も流行のスイーツ・ドリンクの店があちこちにできては長く続かず閉店していく光景がありますが、鬼怒川温泉の廃墟はブームに浮き足立って無闇に手を広げた先にある悲しい結末を示しているように思えてなりません。
心霊現象が起こりやすい!?心霊スポット巡りで注目される廃墟
廃墟は心霊現象が起こりやすい、霊が住み着きやすいとよく言われますが、もちろん鬼怒川温泉の廃墟群も例外ではないようです。
鬼怒川第一ホテル内に手招きする人影が見えたり、きぬがわ館本館のかっぱ風呂から悲鳴が聞こえる等の噂も。心霊スポットとして人気の廃墟がまとまっているのですから、まさにマニアには格好の心霊スポット巡りの場所となっています。
日本全体の社会問題としての廃墟ホテル
鬼怒川だけじゃない!全国にある廃墟ホテル
廃墟ホテルは鬼怒川温泉だけの問題ではありません。様々な理由で閉業に追い込まれ、解体できないまま廃墟となっているホテルは全国のいたる所にあります。
中でも鬼怒川温泉の廃墟が話題となるのは、全国でも特に有名な温泉街であり、巨大な廃墟がまとまっているからです。鬼怒川温泉の廃墟群が今後どのように対処されていくかは、廃墟問題を抱える全国の観光地にとって重要な先例となる可能性があり注目されているのです。
廃墟があることで発生する様々な問題
過去の貴重な遺構として廃墟を残してほしいという声があることも事実です。一理ありますが、それも適切な管理ができてこそのこと。
管理ができない現状のままでは、廃墟めぐり・心霊スポットめぐりのための不法侵入に始まり、景観を壊す落書き、ゴミの不法投棄、老朽化による倒壊や放火の危険等、治安の悪化から生命に関わる危険まで多様な問題がつきまとうのです。(所有者のある廃墟に無断で入ることは違法行為です。)
鬼怒川温泉の美しさと楽しさをいつまでも
日本の素晴らしさを国内外へ伝える鬼怒川温泉
近年、鬼怒川温泉は外国人観光客が増え、首都圏から行きやすく日本文化と自然の美しさを満喫できる地として大人気です。
廃墟の問題があっても、鬼怒川温泉の素晴らしさと日本のおもてなしのこころが色褪せることはありません。私達が直接廃墟を解消することはできなくても、今改めて鬼怒川温泉を知り、訪れて、楽しむ…そのシンプルな積み重ねが、鬼怒川温泉の新たな発展へとつながるのではないでしょうか。
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