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「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルは道後温泉?映画と比較で解説!

幻想的なアニメ映画、「千と千尋の神隠し」は、公開されて時が過ぎても何かと話題になります。湯屋の「油屋」の外観は愛媛の道後温泉はじめ、舞台になった土地は数知れず。道後温泉等と比較した画像を見たら、実際に千と千尋の神隠しの舞台に行きたくなってきますよ。
2020年8月27日
はぐれ猫
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道後温泉?千と千尋の油屋のモデル探し

スタジオジブリが宮﨑駿監督の下、2001年に千と千尋の神隠しを公開してから、もう長い月日が流れました。しかし今でも人気の高いアニメ映画作品であるだけに、千尋が迷い込んだ不思議の世界に興味を惹かれる人は跡を絶ちません。行き着く先は油屋のモデルになった実際の観光名所です。ここでは千と千尋の神隠しの油屋について、今一度再確認してみましょう。

千と千尋の活動舞台となる油屋とは

油屋を簡単にいえば、不思議の世界の旅行者がやってくる温泉宿。そこは湯婆婆(ゆばーば)という2頭身の謎の魔女が取り仕切り、湯カエルの従業員、ナメクジの湯女がいて、人間以外の旅行者に娯楽を提供する場所です。そこに唯一の人間である千尋がやって来て、千という名で住み込みで働き始めたのです。

道後温泉始めとして油屋のモデルになった建物は多数

千と千尋の神隠しの情報を見ると、舞台になったのはここだ!と1か所が紹介されていることがあります。しかし千と千尋の神隠しの油屋のモデルになった場所は、道後温泉の愛媛だけでなく、群馬、東京、愛知など日本各地の旅館、飲食店、お城、文具店まで様々な場所があります。それら一つ一つを確認してみてください。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル①:建物

道後温泉が有名

モデルになった場所の中でも、一番手の聖地として取り上げられるのが、愛媛県松山市の道後温泉。愛媛の伝承によれば、古代に道後温泉を開いたのは大国主神だといいます。しかし道後温泉のいったいどこが油屋の舞台なのか具体的にご存知ですか。愛媛の道後温泉に行ってみて、千と千尋の神隠しに登場する建物を探してみてください。

千と千尋の油屋と道後温泉の特徴を比較してみて

映画の中で油屋の建物を見れば、全体的に見て和洋折衷であり、様式に統一感がまったくない外観をしています。屋根の形状を見ると、和風建築の三角屋根の千鳥破風や、丸みを帯びた形の唐破風を幾つか組み合わせているのが見て取れます。

明治に建設された道後温泉本館は国の重文

古代からの歴史ある愛媛の道後温泉でも、最も象徴的な建物が道後温泉本館です。旅館の建物は神の湯本館と呼ばれる黒を基調とした重厚な外観の建物で、1894年(明治27年)に建てられた当時の姿を維持しています。国の重要文化財であり、カオナシもひょっこり姿を見せそうな道後温泉の顔です。

道後温泉本館の外観の油屋的な要素とは

愛媛県松山市の道後温泉本館の玄関側をじっくりと見てください。建物の屋根の正面中央は唐破風、その両側に千鳥破風を配しています。この2つを頭の中で縦に積み上げてみたられば、確かに千と千尋の神隠しの油屋の正面側の意匠が出来上がるようです。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル②:建物

渋温泉の金具屋?

千と千尋の神隠しの映画を見ると、最初に千尋一家の車は国道21号線を走っています。しかし実際のモデルになったのは、東京から長野県へと繋がる国道20号線とのこと。その長野県には道後温泉と並んで油屋のモデルのひとつになった、渋温泉の金具屋がありました。

油屋の高層階のほうに目を向けてみると

油屋の建物は正面玄関から見ると5階建てですが、実は入り口に繋がる橋と正面玄関は3階部分に造られています。全体は7階建てか8階建て、てっぺんに塔屋付きで、全体の高さは50メートル以上はありそうです。高層階のフロアは、日本的な伝統様式が取り入れられた客間のようでですが、屋根の形状も含めて金具屋と比較されるところです。


金具屋の旅館の客間と屋根の形状が油屋に似ている

油屋と渋温泉の金具屋の共通点といえば、建物の高さを有する温泉旅館であることです。金具屋斉月楼は4階建ての純和風で、登録有形文化財にも指定されている昭和初期の建築です。斉月楼のてっぺんの唐破風も油屋に似ているし、特に照明がきらびやかに見える夜間は、まさに千と千尋の神隠しの世界です。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル③:名前と外観

湯原温泉

油屋は千と千尋の神隠しの架空の湯屋かと思いきや、完全に同じ名前を持つ温泉宿がありました。それは岡山県真庭市の、湯原温泉・油屋です。おかみさんは湯婆婆ではないと思われますが、2つの油屋には名前以外にも外見的な共通点も見つかります。どのへんの見た目が似ているかを見てみましょう。

そもそも油屋の屋号の由来は何か

昔から「油を売る」ということわざが使われました。これは昔の油売りの行商人が油を売る時に時間がかかることから、仕事中にサボったり世間話をして時間を潰すことを意味する言葉です。もしかすると油屋とは、時間をかけてゆったり濃密に暇つぶしという意味合いでしょうか。

映道後温泉本館にも似た外観の油屋で油を売りたい

真庭の油屋は、時を遡って江戸時代の元禄年間創業の老舗です。現在の建物を見れば小粋な純和風で、建物正面には唐破風に千鳥破風を組み合わせた屋根が取り付けられていまず。このへんがどことなく愛媛の道後温泉本館とも比較ができ、千と千尋の神隠しの油屋にも似た趣きがあります。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル④:赤い欄干の橋

積善館と清州城

油屋に向かって架けられた赤い欄干の橋は、千と千尋の神隠しの中では時々登場しています。湯屋の建物と赤い欄干の橋というキーワードでも、モデルになっている温泉旅館を発見することができます。それは群馬県の四万温泉の積善館本館、そして愛知県の清州城も忘れてはいけません。

千と千尋の橋を振り返ってみる

映画では千尋が異世界に迷い込んでから、何の因果か両親が完全なブタと化した食堂街を抜け、油屋へとたどり着きました。その時に渡った赤い欄干の橋は、最初から最後まで作中に何度も登場しています。地味な存在ながらも忘れられない場所でもありました。

群馬県の四万温泉の積善館本館と赤い欄干の橋

群馬の四万温泉は、利根川を遡った上流部、吾妻郡中之条町に位置する温泉街です。積善館本館は渓谷の川に架けられた赤い橋を渡ってたどり着く温泉旅館で、まさに千と千尋の神隠しの実写版を思わせます。橋の向こうに建つ建物は、元禄四年(1691年)の建築で、道後温泉本館よりも古い建物。群馬が誇る日本最古の木造湯宿建築として、群馬県の重要文化財に指定されています。

愛知県の清州城と橋も千と千尋のモデル?


ここまでは温泉旅館ばかりと比較してきましたが、千と千尋の神隠しの味付けには、お城も使われているって知っていますか。愛知県清須市の清州城は復元された模擬天守とのことですが、確かに油屋の外観に似ているし、何より赤い橋がそれを強く印象づけて、欄干の形状もそっくりです。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル⑤:建物内部

群馬の鬼怒川温泉のあさや

映画の中で油屋の豪華絢爛さを象徴するのが、巨大な和風の吹き抜け空間でした。吹き抜け構造も実はモデルが存在しています。それは栃木県で有名な温泉郷、日光鬼怒川温泉のあさや。あさやのことは知らなかった人も、ここで比較をして実際の構造を確認してください。

油屋の吹き抜けの構造について

湯婆婆の油屋は、外見に比較して内部の空間がかなり広く見えます。中央から上部にかけて大きな吹き抜け構造があり、各階の和風の渡り廊下が吹き抜けを取り巻いています。途中で橋が架けられていたりと、遊び心が随所に見られる構造で、ここを湯女の千が行き来していました。

鬼怒川温泉のあさやの吹き抜け構造

愛媛の道後温泉にも負けない知名度の、栃木県日光市の鬼怒川温泉で、5つ星を誇る温泉ホテルのあさやの創業は、1888年(明治21年)までさかのぼります。あさやホテル秀峰館の吹き抜けは10フロアに渡る巨大なもので、規模では油屋を凌いでいます。映画を超えるあさやの迫力の吹き抜けは、実際に目にしてみたいですね。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル⑥:油谷の前の食堂街

江戸東京たてもの園

東京都小金井市でレトロな空気に包まれている江戸東京たてもの園は、訪れたらまるで過去にタイムスリップしたような気分です。千と千尋の神隠しを製作したスタジオジブリが、参考にしたと言う建物がここにあります。油屋に取り入れられた銭湯の建物のほか、油屋の前に広がる食堂街の建物のモデルも存在しました。

油屋の唐破風の屋根と建物を取り巻く塀

油屋の真正面で象徴的な唐破風の屋根ですが、その下の入り口の両側を見れば、石かコンクリートの塀で囲まれて、その中の庭には立派な松の木など樹木が生えていました。では江戸東京たてもの園の、どんな建物が映画の舞台として活用されているか気になります。

元銭湯だった子宝湯の雰囲気は良く似てる

江戸東京たてもの園は江戸東京博物館の分館として、1993年に開園しました。日本の貴重な建物を保存する役割を担っています。油屋のモデルとなった子宝湯は、1988年まで足立区で銭湯として活躍した建物です。唐破風の屋根、建物を取り巻く塀、中の植物など、比較してみると似通ったパーツが揃っています。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル⑥:油谷の宴会場

目黒雅叙園の漁礁の間

千と千尋の神隠しの物語では、目立たないようで断然目立つカオナシというキャラクターがいました。カオナシが宴会場で大食いしつつの大暴れする場面は見逃せません。その宴会場の風景については道後温泉ではなく、宮﨑駿監督がモデルにしたと断言する場所が、東京の目黒雅叙園でした。

千と千尋の神隠しでカオナシが暴れた宴会場


カオナシは普段は「あ・・・」くらいしか発生できないほど大人しいのですが、カエルスタッフを食べることで強気な性格になり、体の形もカエルの化物のように変化していました。そのカオナシがしっちゃかめっちゃかにした宴会場には、立派な襖絵や天井絵の数々が見られたので、記憶に留めている人も多いでしょう。

目黒雅叙園の文化財「百段階段」漁礁の間とは

東京都目黒区の目黒雅叙園は、前身となる1928年に料亭として開業し、現在の雅叙園は当初の流れを汲んでいる、ホテルと結婚式場を始めとした複合施設です。千と千尋の神隠しの舞台のモデルになった場所は、東京都の指定文化財の「百段階段」。ここの「漁樵の間」などでは、カオナシの場面で見られた内装のように、気品溢れる和室の襖絵、格子の天井画を見ることができます。

「千と千尋の神隠し」の油谷の舞台モデル⑦:釜爺がいた建物

武居三省堂という文具店

道後温泉から始まった今回の調査結果で、最後に取り上げたいのが映画の中で千が親しくなれた、釜爺が本拠としていたボイラー室です。下層階の暗い場所でしたが、この空間についても、舞台になっている実在の建物が江戸東京たてもの園にありました。

千と千尋のボイラー室は油屋の心臓部

湯屋の基本はお湯であり、大量のお湯を沸かすにはボイラーが必須です。油屋では下層階にボイラー室があり、そこで湯婆婆にこき使われていると文句を言っているのが、釜爺という蜘蛛男です。ボイラー室の壁一面が、開閉戸付きの棚になっていました。この場所を江戸東京たてもの園から見つけ出すことができます。

釜爺のボイラー室のモデル武居三省堂とは

武居三省堂は明治初期に東京千代田区神田須田町に開業した文具店で、現在見られる建物は1927年(昭和2)の建築です。閉店後に江戸東京たてもの園に移築保存されました。内部の商品売場には、まさに釜爺が作業をしていたのと同じような棚が、壁一面に造られています。武居三省堂は、にゅ~っと釜爺が手を伸ばして来そうな雰囲気があります。

道後温泉はじめとして各地の油屋を見てみたい

千と千尋の神隠しに登場した油屋のモデルは、愛媛、長野、岡山、群馬、愛知、栃木、東京と各地に存在し、旅館から文具店に至るまで様々な形態の建物があったと理解できました。いずれも訪れてみたい魅力を持ち、旅館に宿泊すれば映画の世界に浸れることは必至です。千と千尋の神隠しの油屋の舞台になった聖地を巡ってみる旅を、実現してみては如何がですか。