沙羅双樹の花の色とは
「沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色」は、平家一門の栄華と衰退を描いた平家物語の書き出しの文章「祇園精舎(ぎおんそうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり」に続く「沙羅双樹の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす」の中に謳われています。
平家物語の沙羅双樹の花の色とは何色をイメージして書かれたのか。物語の沙羅双樹の花の色について徹底的に検証してみましょう。
沙羅双樹の花の色の伝説
沙羅双樹は、お釈迦様が入滅(死を迎え天に昇ること)すると悟り、横たわった場所にあった2本の沙羅の木の伝説のことを表しています。お釈迦様が入滅のときの沙羅の木には、かぐわしい香りがする淡い黄色の花が咲きほこっていましたが、入滅と同時に沙羅の木は枯れてしまいました。
しかしその後、お釈迦様の死を悲しむかのように再び真っ白な花を咲かせ、その白い沙羅の花が舞い散りお釈迦様を覆いつくしたと言われています。
沙羅双樹の花の色は淡い黄色?真っ白?
前述の伝説によると沙羅双樹の花の色は、淡い黄色と真っ白の2種類あることになります。それとも沙羅双樹の花の色は、伝説のように変化するのでしょうか。
どうやらそれは間違いで、お釈迦様の生まれたインド原産の沙羅双樹の花の色は、淡い黄色が正しく花の大きさもイメージよりずっと小さいのです。白は神聖な色とされるので後世で脚色された可能性があります。沙羅双樹の花の色は何色なのかもう一度探って見ましょう。
沙羅双樹に「双」が使われている理由
沙羅双樹の花の色が何色か?という疑問の前にもう一つ不思議なことがあります。沙羅の木はもともと単木なのに「双樹(2つの木)」と呼ばれるのはなぜでしょう。それは前述の伝説にもあるように、お釈迦様が入滅のときに横たわった沙羅の木が2本だったことに由来しています。
それ以来、沙羅の木のことを沙羅双樹と呼ぶようになったのです。しかしそれだけでは沙羅双樹の花の色にまつわる疑問は解消しません。
平家物語の沙羅双樹の花の色は「夏椿」?
平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」を現代語で表現すると「栄華を極めた者は、沙羅双樹の花の色のように必ず衰える」という意味です。
これは仏教の無常観を表すと同時に、釈迦の伝説で沙羅双樹の花の色が淡い黄色から真っ白に変化したように、赤旗の平家が白旗の源氏に滅ぼされたことを象徴しています。平家物語の中の「沙羅双樹の花の色」は淡い黄色ではなく白をイメージして書かれた可能性が強いのです。
日本の「夏椿」の花の色は白
沙羅双樹はインド原産の落葉樹で30mの高さにもなる高木です。沙羅双樹の花の色は淡い黄色またはクリーム色で3月〜7月に開花します。沙羅双樹は寒さに弱く日本には自生していません。
日本に自生している「夏椿(ナツツバキ)」は朝に開花し夕方には落下する儚い白い花です。仏教の無常観を表す尊い花として、各地のお寺に沙羅双樹の代用として植えられています。葉の形が沙羅双樹と似ていることも代用される理由です。
沙羅双樹の花の色は夏椿の白い色
平家物語の沙羅双樹の花の色が白色と言うには根拠があります。平家物語に出てくる「沙羅双樹の花の色」は、沙羅双樹の代用木「夏椿」の白い色です。なぜならば当時の日本には沙羅双樹の木は存在しません。
白い色は清楚で純粋、煩悩を浄化させる色なので仏教的にしっくりきたのではないでしょうか。つまり平家物語の沙羅双樹の花の色は、本来の沙羅双樹の淡い黄色ではなく日本の夏椿の白色をイメージして書かれているのです。
沙羅双樹の花の色は何色?の答えは2つor1つ
沙羅双樹の花の色は「淡い黄色」と「白色」の2つとも言えますが、インド原産の沙羅双樹の花の色は「淡い黄色」で、「白色」は日本原産の夏椿なので厳密には1つです。
平家物語の冒頭に「沙羅双樹の花の色」が使われていることが混乱を招いています。沙羅双樹は仏教の聖なる木なので「沙羅双樹の花の色」を使ったのです。本来は「夏椿の花の色」が正解ですが、沙羅双樹の花の色の方が神聖で仏教的だからではないでしょうか。
平家物語とは
平家物語は仏教の無常観(世は常に変化し現状にとどまることはない)を軸にして平家の栄華と没落をえがく、鎌倉時代に書かれたとされる軍記物語です。
作者は徒然草で有名な吉田兼好とする説がありますが、そのほかにも諸説があり不明とされています。保元の乱や平治の乱、壇ノ浦で滅亡した平家の悲惨を、琵琶法師(盲目の僧が琵琶を弾きながら経文や叙事詩を謡う芸能者)が吟じながら伝えた物語です。
平家物語が伝えるもの
武家社会を確立した鎌倉幕府の背景には、平家と源氏の壮絶な戦いがあり、その歴史を如実に語っているのが平家物語です。仏教の世は常ならむという無常観を冒頭の「沙羅双樹の花の色」に例えています。
平家物語が伝えたかった最も大きなことは、戦乱の中の悲劇を通し平家が滅び源氏に変わったように、世の中は常に変化してゆく無常感、それは千年・二千年の時を超えても変わらないことを伝えたかったのではないでしょうか。
平家物語が残したもの
平家物語は赤旗の平家と白旗の源氏、赤が白に変わりゆく時代の流れを、淡い黄色が真っ白に変わった沙羅双樹の花の色の変化に重ね合わせています。
言いかえれば平家が赤い血に染まり敗北し、白旗の源氏が勝利したことを仏教の無常観として表現しているのです。戦乱の無意味さを痛感した現在でも、平家物語の平家と源氏の赤と白という色のイメージがレガシーとして残っています。
平家物語のレガシー
毎年年末に放映されるNHKの人気番組の題名は「紅白歌合戦」です。「紅」は女性「白」は男性を指していますが、根底には平家物語の源平合戦があります。赤の平家と白の源氏が対立した戦いの基本構造です。
こんなところにも平家物語ののレガシーが影響しているとは驚きではないでしょうか。また縁起物の紅白幕や水引、赤と白2色でシンプルな国旗日の丸にも平家物語が影響しているのかもしれません。
沙羅双樹の花言葉
沙羅双樹の花言葉に「愛らしい」という表現が使われることがありますが、この花言葉は「夏椿」の花言葉で沙羅双樹の花言葉ではありません。
開花時期が似ているので混同されやすいのですが、沙羅双樹と夏椿は全く違う花で、沙羅双樹の開花が見られるのは日本では滋賀県の草津市にある「水性植物公園みずの森」1ヶ所だけです。興味のある方は出かけて見てください。ただ花言葉とはイメージが違うかもしれません。
仏教と沙羅双樹
仏教には三大聖木と言われる「無憂樹(むゆうじゅ)」「菩提樹(ぼだいじゅ)」「沙羅双樹(さらそうじゅ)」があります。それぞれの木は、お釈迦様の生誕から悟りを開き入滅に至るまでのゆかりの木です。
沙羅双樹の花の色には関係なさそうに見えますが、沙羅双樹はもともと仏教と切ってもきれない関係にある植物なので、仏教との関係を知ることは沙羅双樹の花の色を知るヒントになります。
無憂樹(むゆうじゅ)とは
無憂樹はアジョーカというマメ科の植物でお釈迦様の誕生の花です。母マーヤ夫人は臨月近くになって故郷で出産するために、デーバダハに向かう途中で休憩したルンビニの花園で急に産気づいてしまいます。
そのときマーヤ夫人がアジョーカの花に右手を差し伸べたときに、お釈迦様が生まれました。マーヤ夫人が安らかに安産したことから、憂うことがない樹という意味で「無憂樹」という名前がつけられたのです。
菩提樹(ぼだいじゅ)とは
菩提樹は仏教に限らずさまざまなシーンに登場します。仏教ではブッタ(お釈迦)が悟りを開いたときに座った木と伝えられているアジア原産のシナノキ科の落葉植物です。
キリスト教でも菩提樹は神聖な樹とされ、シューベルトの歌曲「リンデンバウム(西洋菩提樹)」やミュージカル「サウンドオブミュジック」の原型になっています。このように菩提樹は世界各地に分布する植物で、さまざまな宗教に影響を与える聖木です。
沙羅双樹(さらそうじゅ)とは
沙羅双樹は前に紹介したように、お釈迦様が入滅(死)を迎えたときに最後の説法をされ涅槃(ねはん)に入ったとされる聖木です。そのとき沙羅双樹の花の色が、淡い黄色から純白の変化し奇跡を生んだ樹とも言われます。
またお釈迦様に降り注いだ白い沙羅双樹の花の色が、あたかも白い鶴の群れがとまっているように見えたことから「鶴林(かくりん)」とも呼ばれる聖木です。平家物語の冒頭の一節もこの伝承に基づいています。
仏教と蓮の花
仏教では、ここまで紹介した三大聖木や沙羅双樹の花の色の他に、蓮の花も重要な意味を持っています。お寺の仏像は蓮をイメージした蓮華座(れんげざ)の上に鎮座し、池には蓮の花が植えられることが多いのです。
蓮の花はにごった泥水の中で美しく咲きます。泥は人間の煩悩や苦しみに例えられ、その中でも清く美しい心を持ち続ける仏教の教えと相通じるのが蓮の花です。赤蓮と白蓮が珍重されているのは平家物語を連想させます。
世界の沙羅双樹の花の色
沙羅双樹の花の色はインド原種では淡い黄色です。仏教が盛んな国では沙羅双樹を聖木として大切にしています。しかしインド原産の沙羅双樹が育たない地域では、さまざまな代木が沙羅双樹として植えられて、沙羅双樹の花の色もそれぞれの国で違うのです。
インド原種の沙羅双樹の花の色
沙羅双樹はネパール南部からインド北部に自生するフタバガキ科の植物で、沙羅双樹の花の色は淡い黄色で開花は4月〜7月頃になります。また開花の直前に葉を落とし、開花と同時に半透明の新しい葉をつける神秘的な樹です。
タライ平原では満開の沙羅双樹の花の色が、淡い半透明の葉の林と混じり合い、甘いかぐわしい香りとともに不思議な雰囲気をかもし出します。つまりインド原種の沙羅双樹の花の色は淡い黄色です。
東南アジアの沙羅双樹の花の色
タイやミャンマー、ベトナムなどの東南アジアの国では、ホウガンの木が沙羅双樹として大切にされています。花の色がトロピカル色のホウガンの木がなぜ沙羅双樹とされているのか詳細は不明です。
インド原産の沙羅双樹が気候風土や土壌に合わず育ちにくいのかもしれません。またはタイやベトナムの自国に自生するインパクトがあるホウガンの木が仏教の信仰の象徴としてふさわしいと考えたのではないでしょうか。
ホウガンの木とは
ホウガンの木は大砲の弾にそっくりな丸い実をつけることから「砲丸の木」と呼ばれています。アマゾン川流域の南米原産ですが、南アジアから東南アジアの熱帯地域に分布する南国的(トロピカル)な樹です。
仏教が盛んなベトナムでは花の形からダウラン(獅子頭)、ハムラン(麒麟舞)などと呼ばれますが、カイサーラー(沙羅双樹)とも呼ばれます。花の色もサーモンピンクで、沙羅双樹の花の色とは全く違うトロピカル色です。
日本の沙羅双樹の花の色
インド原種の沙羅双樹は、寒さに弱いので日本には自生していません。そのため葉の形やイメージが似ている夏椿が、代木としてあちこちのお寺に植えられています。
夏椿は名前の通り沙羅双樹と同じ夏に開花する花で、黄色の小さな花芯のまわりを白い大きな花弁がおおい、形は冬に咲く椿の花と同じです。冬椿の情熱的な赤い花と対照的に清楚で白い夏椿が、日本人が抱く沙羅双樹の花の色になります。
ヒメシャラの名の由来
ヒメシャラは漢字で「姫沙羅」と書き、小さな沙羅双樹という意味の名前です。沙羅双樹はフタバガキ科の植物で、ヒメシャラはツバキ科で夏椿の仲間なので沙羅双樹とは違う品種なのに「姫沙羅」の名がついています。
夏椿の花を沙羅双樹の花と誤認したように、花の形も色も違う夏椿の小さい品種ということでヒメシャラと名付けられたのが由来です。本来ヒメシャラは「ヒメツバキ(姫椿)」と呼ばれるべきなのかもしれません。
草津市立水性植物公園みずの森
この公園は日本で唯一沙羅双樹の開花が見られる場所です。琵琶湖のほとりにある水性植物園で、世界各国のスイレン科の蓮の花やハナショウブなど四季を通じてさまざまな花が鑑賞できます。
園内の温室で沙羅双樹の開花が見られ見ごろは4月中旬〜下旬です。入園料も大人300円、中学生以下は無料になっています。インド原産の沙羅双樹の花の色や形が確認できるだけでなく世界各国の水生植物が楽しめるのでおすすめです。
水生植物公園みずの森
- 住所〒525-0001
滋賀県草津市下物町1091番地 - 電話番号077-568-2332
- 営業時間通常9:00~17:00 夏期7:00~17:00 冬期9:30~16:00
- 定休日毎週月曜日(月曜が休日の場合は翌日)
- アクセス新幹線・JR「京都駅」、JR「米原駅」からJR琵琶湖線に乗り換えJR「草津駅」下車。JR「草津駅」西口発、近江鉄道バス「琵琶湖博物館・みずの森」行き乗車、「みずの森」下車。(約25分)名神高速道路「栗...
- 駐車場あり
駐車無料 バス3台 普通車84台(内、障がい者用4台) - 公式サイトURLhttps://www.seibu-la.co.jp/mizunomori/about/
平家物語の沙羅双樹の花の色を楽しもう
平家物語の冒頭の一節で有名な「沙羅双樹の花の色」は、インド原種は淡い黄色で日本では夏椿の白い色になります。平家物語で語られている「沙羅双樹の花の色」は、実は沙羅双樹ではなく白い夏椿の花の色なのです。
沙羅双樹の花の色にまつわる伝説や仏教との関係、平家物語の内容や時代背景などを紹介してきました。これらを参考にして沙羅双樹の花の色のミステリアスな神秘や不思議を楽しんでください。
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出典:photo-ac.com