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いま改めて感じる登山の魅力「おとうさんのよも山ばなし」

北海道の冬は厳しく、登山の機会が少なくなります。アドバイスを聞くと難しくないといいますが、二の足を踏みます。そこで今回は登山歴が6年目に入った僕が改めて、苦しいはずの登山の魅力を探ってみようと思います。思い当たることがきっとあるはずですよ。
更新: 2023年1月5日
おとうさん
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目次

山の空気がおいしい

撮影:ライター

よく聞き実際に山に入ると感じる。

山の空気は本当においしい。

「いや、空気でしょ?」と思うだろう。

あなたもミネラルウォーターを飲むはずだ。

水に例えると、空気清浄機を通した空気がミネラルウォーター。

山の空気が沢の湧き水だ。

喉を通った時の感触、身体に染み渡る感覚が違う。

登山道に入り、鼻から息を吸うと木や風の……なんというか精霊の息吹みたいなのと同化する感じが味わえる。

手軽に非日常を味わえる

撮影:ライター

筆者は登山のほかにサイクリングやキャンプもする。

サイクリングやキャンプも非日常を味わえるが、登山のそれは圧倒的だ。

サイクリングは家から数十キロ離れた街まで自転車で行く。

パンクしたり転倒したりアクシデントに遭うこともあるが、走るのは車道だし、コンビニもある。

キャンプもそうだ。自然のなかといっても刈られた芝生の上にテントを張り、夜は煌々と灯りを灯す。場合によってはテントの横に、四輪駆動車がある。

その点登山は、登山口までは車で行くが、そこからは完全に自分の脚と経験だけが頼りだ。

がんばるのも、諦めるのも自分一人で決断する。山の中では誰も助けてくれない。

たしかに整備された登山道を歩くが、年間に少なくない人が遭難していることを考えると、道具の進化した近代登山でも危険なアクティビティということがわかる。

それ故の非日常なのだ。


登山は苦しいが

撮影:ライター

筆者の住む町は半島に位置するので先端に行けば海、反対を見れば山ばかりという立地だ。

マリンスポーツはしないが視界には常に海がある。

買い物をしていると否応なく山に触れる。

そして登りたくなる。

服が欲しいとかお腹が空いたとかと同じレベルで「山に行きたい」と思うのだ。

しかし、近くに山があるからといって、行きたいときに行けるわけでもない。

仕事や日常生活の合間とタイミングを見て、ここぞというタイミングでザックを背負う。

喜び勇んで登山口に入る。

しかし5分もしないで息は絶え絶え。

日頃の不摂生を呪いつつ「もう登山なんていやだ」と朝5時に目覚まし時計なしで目覚めた自分とは真逆のことを呟く。

それでも「せっかく来たんだから」と元来の貧乏性が引き返すことを許さず山頂を目指す。

山頂に着いたらついたで「やまさいこ~」となる。じつに人間らしい。

自分に勝つとか、体力の限界に挑むとかではなく、この自分の人間臭さを確認しに行くのかもしれない。

道具を買う楽しみ

撮影:ライター

登山に限らず趣味にハマると道具が欲しくなる。

登山もリュックや登山靴などの、いわゆる三種の神器をはじめ、登山を楽しもうとするとドンドン道具が欲しくなる。

そして、欲しくなる道具が高額になりがちだ。

小遣いをやりくりし、パートナーを口説き落として手に入れた憧れの道具を山で楽しむ。

頭に中に浮かぶのはカタログで見たスマートなモデルと同化した自分だ(実際はどうかしたオッサンである)

機能やギミックに喜び感動し、下山後は大して聞いていないパートナーにレビューする。

それでいいのだ。趣味などどこまでいっても自己満足なので酔いに浸ればいい。

使い、磨き、眺める。

道具を買うのも登山の楽しみだ。


仲間との出会い

撮影:ライター

筆者は休憩所や山頂にいるとき、積極的にほかの登山者に話しかける。

なれなれしいと言えばそれまでだが、その後一緒に登山をする仲になった人もいるほどだ。

筆者が人間好きという側面もあるが、情報収集の意味もある。

下山して来た人にはこの先の状況を聞き、お互いに持っている道具の使用感を生で聞けるので貴重な時間だ。

Facebookなどインターネット場のコミュニティーもよいが、現地で知り合った人との交流は大きな財産だ。

健康になるかは疑問

撮影:ライター

「登山していると健康になるね」と言われることがある。

しかし筆者はちょっと疑問に感じるのだ。

登山に行くと言ったってせいぜい月に2度。2か月行かないこともあるし、北海道は半年雪に包まれるので継続性がない。

そのような間隔で突然山に入る。整地されていない急こう配を何時間も歩く。

下山する頃には膝がガクガクし、向こう三日は生まれたての小鹿のように歩くことすらままならない。

これではとても健康的とは言えない。

ただ、次に日に太ももやふくらはぎに痛みがあると「よしよし筋肉が喜んでいる」とか思ってしまい声をあげながらストレッチする。

登山者は苦痛を喜ぶ、どこかマゾヒストなところがあるのかもしれない。


こみ上げる解放感

撮影:ライター

解放感。

登山の魅力を語るうえで、これほどわかりやすいフレーズはないだろう。

林のすき間から見える街並み、森林限界を吹き抜ける風、山頂の鐘の音。

ここまで書いたように、苦しい、帰りたいといった気持ちを抑え自分の脚でその山を征服した達成感。そこから見えるどこまでも続く空。日常から解放されるとはまさにこのことだろう。

山頂で食べるおにぎりは家族の大切さを思い出させてくれる。海苔の香りが精神を開放してくれる。

そんなことより、下山して登山靴を脱いだ時に一番の解放感を感じてしまうのは筆者だけではないはずだ。

ほとんど中毒

山は苦しい。

息も切れるし、数日間、筋肉痛にも襲われる。

それでも登頂したとき、下山してホッとした瞬間には「また登りたい」と思ってしまう。

ほとんど中毒だ。

毎日の仕事や家事、勉強に追われているとつい「なんのため」と嫌になることがある。

それを山に行くと思い出させてくれる。

答えは人それぞれだと思う。出る答えも行く度に違うこともある。

疲れたとき、人生に迷った際はぜひ、山に登って欲しい。

山は笑顔を思い出させてくれる。