青年よ旅に出よう
人生に気づき、悩むと旅に出たくなる。
自分探しの旅といえば若者の特権と思われるが、年をとっても悩みは尽きない。
五十を目の前にして僕もこうして悩み旅に出た。
若者よ、大いに悩め。青年よ、供の旅に出ようではないか。
一人になりたいと思っても
僕は一家の大黒柱。旅に出たいと思っても独断では出られない。
持病もあるのでなおさら妻は心配する。息子もスマホ越しに心配そうな顔をしている。
そんな彼らにできる精一杯の誠意は、緻密な計画を示すこと。
いくら独りになりたいと思っても帰る場所があってのことだ。
出発当日。いつも通り妻の分と2杯、コーヒーを淹れ、息子の手を軽く握ってから静かにドアを閉めた。
どんな時だってはじめては不安だ
自転車は普段から乗っている。体力はある。
けれど約20㎏の荷物を積んで走るのはやはり不安だ。
フラ付くし、スピードは出ずブレーキが効かない。
こんな感じで大丈夫なのか。出発早々不安ばかりが大きくなる。
いつだって、どんなことだってはじめてのことは不安だ。
入学入社、新生活。けれど少しずつ慣れ、世界が見えると同時に楽しさも見える。
困難も見えるけどそれも楽しい。
さあ進もう。
出会い
旅の楽しみに出会いがある。いや、むしろ出会いを求めて旅に出ると言ってもいい。
出会い、言葉を交わし価値観を共有する。互いの安全を祈りまた旅立つ。
今回の旅も何度かの出会いがあった。一言二言交わすだけの出会いもあれば、数時間語り合うことも。
いずれも深入りせず、ただお互いの旅の話をし、心で励ます。
SNS全盛の現代でも連絡先の交換はしない。
別れ際にこう言い合いまた道を行く「よい旅を」
どこまでも続く道、変わらない景色。けれど…
北海道の国道は広い。そしてまっすぐどこまでも続く。
走れど走れど左右の景色は変わらず、つい考えごとをしてしまう。
ふと我に返るとさっきと同じことを考えていたような気がする。もしかすると数年前から。
道も景色もさっきと変わらない。
けれど、地図を見ると確かに進んでいる。
ずっと同じ場所でぐるぐる回していた思考とペダルは、確かに僕を前に進めていた。
大丈夫。僕は前に進んでいる。
決めるのは自分
旅に出ると食べる物も寝る場所もすべて自分で決める。
おいしくてもおいしくなくても、快適でも寝苦しくても自己責任で独り占めだ。
今回の旅では公園でインスタント麺を食べたり、駅で寝たりした。
食事も寝床も、よい時もあれば失敗した時もある。
けれどそれは自分が決めたことだ。言い換えれば自分の責任だ。
食べものも寝床も、どこに行くかも。
すべてが自分の血となり肉となり、歴史になる。
時に人に頼る
独りで決める。それが旅の醍醐味だ。
しかし独りではどうしようもない時がある。
寝床が見つからない時、目的地までの道がわからない時。
そんなときは人に頼ってしまおう。
素直に「困ってます」と素直に人に頼ろう。
そうすれば大概助けてくれる。
時々怪訝な顔をされる時もあるが、死ぬよりましだ。
人はそんなに悪くない。もし、申し訳ないという気持ちがあるなら、次にあなたが頼られたとき、できる限りのことをしてあげればいい。
それが「和」というものだ。
辛い坂道の先には。よく聞く言葉
辛いことの先にはいいことがある。よく聞く言葉だ。
僕も長く病気をして何度もこの言葉を耳にした。
けれど今回旅に出て改めてこの言葉を実感することがあった。
街から外れ熊出没の看板に怯えながら約3時間の登り坂を登ったあと、その先に見えたのは霧に煙る森。何も見えなかった。
悪態を付きたくなったが、先に進まないと旅は終わらない。
気持ちを切り替えペダルを踏むと、これまでの苦労を取り返す様な軽快な下り坂。
ドンドン進む、自然に笑顔になる。いつしか辛い登り坂のことは忘れていた。
帰る場所があるということ
出会いに励まされ、寝床を探し右往左往しながら旅を終えた。
疲れ切った僕を迎える妻は道具の片づけを促すし、心配そうに送り出した息子は友人と遊びに行った。
だがこれでいい。これが僕の帰る場所だ。
相変わらずの家族と変わらぬソファーと時間。その有難さを思い出すために僕は旅に出た。
私にはそんな場所はない。
そう思う人もいるだろう。
僕もかつてはそうだった。誰も迎えない部屋と1人分のコーヒー。そんな毎日を積み重ね、時に迷い不安に駆られ、自信と自棄を繰り返してきた。辛い事もあった。
けれど振り返ると今まで進んできた道があった。積み重ねた時間と思考、出会いがあった。
その積み重ねがあなたを創る。
よい旅(人生)を。
出典:ライター撮影