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日本人登山家まとめ!偉業を成し遂げた登山家一覧とその功績の凄さを解説!

日本人登山家で世界各国で活躍する有名なプロ登山家や国際山岳ガイド、ロッククライマー、女性登山家の方々をまとめました。エベレスト単独登頂や、ボルダリングワールドカップ優勝など同じ日本人として誇らしく思う彼らの偉業をぜひご覧ください。
更新: 2023年12月14日
山口 徳成
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偉業を成し遂げた日本人登山家たち

わが国日本でも世界中で活躍する、活躍した登山家がたくさんいらっしゃいます。日本ではもちろん、世界からも認められた数々の日本人登山家たち。「日本人初」から「世界初」を数多く成し遂げています。

日本のアウトドアシーンを、牽引してきたような登山家たちと言って良いでしょう。過酷な自然状況においても、世界中で勇気ある冒険をした日本人の登山家たちをご紹介します。

日本人プロ登山家、冒険家:植村直己

映画や本で有名なプロの登山家であり冒険家である植村直己さん。彼はどういった経歴だったのでしょうか?彼の生い立ちと偉業を紹介します。

生い立ち

植村直己の、生い立ちは1941年2月12日生まれ。兵庫県の城崎郡日高町(現豊岡市)の農家の末っ子として生まれます。就職試験に失敗した彼はアメリカで資金を貯めてからヨーロッパに行こうと考え鳶職のアルバイトで横浜港から、あるぜんちな丸に乗り込みロサンゼルスへ向かいます。しかしながら不法就労で捕まりフランスへ渡ります。

単独登頂にこだわる

フランスで修行を重ねた彼は1966年モンブランマッターホルンの単独登頂に成功します。さらに同年アフリカ最高峰のキリマンジャロの単独登頂にも成功し一躍有名になります。1968年には南米最高峰のアコンカグアに単独登頂します。

この後日本に帰国し、日本山岳会が企画するエベレスト登頂隊に加わり、1970年エベレスト登頂にも成功します。さらに同年マッキンリーに挑戦し単独登頂を成功させ、世界初の『5大陸最高峰登頂者』になりました。

現在

単独行に傾倒した植村直巳は、以降アマゾン川単独川下り、北極点単独犬ぞり到達、グリーンランド単独犬ぞり横断など、数々の有名な冒険を達成しています。43歳の誕生日である1984年2月12日世界初のマッキンリー冬季単独登頂を果たしましたが、よく2月13日以降交信が途絶えます。

この最後の交信を植村直巳の命日としております。1984年には国民栄誉賞受賞。グリーンランドにあるヌナタック峰は、植村直己の功績を讃え、ヌナタック植村峰と改名されています。現在では故郷である豊岡市日高町の上南部高原に、植村直己冒険館で彼の功績を確認できます。

日本人女性登山家:田部井淳子

女性登山家のパイオニアとして有名な田部井淳子さん。彼女の生い立ちと偉業をご紹介します。

生い立ち

1939年9月22日福島県の田村郡三春町に生まれました。小学校4年生の時に登った那須の茶臼岳が、登山家を目指すきっかけになったと言われています。昭和女子大英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集の仕事の傍ら、山岳会に入会し谷川岳家穂高岳でのクライミングに熱中しました。

女性登山家として世界初

1965年に佐宗ルミエともに女性ペアによる女性登山家として、初めての谷川岳一の倉沢積雪期登攀に成功しました。1969年には、女性だけで海外遠征生の合言葉で女子登攀クラブを設立。1970年ネパールのアンナプルナⅢ峰の登頂に成功。

1975年には、エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、女性登山家として世界初のエベレスト登頂に成功します。その功績が称えられネパール王国から最高勲章グルカダクシンバフ賞など数々の功労賞を受賞します。

さらに1992年には、女性登山家として世界初の7大陸最高峰登頂者になりました。

その後

以降はエベレストのゴミ問題等の山岳環境保護に尽力し、震災後は福島県の小学生を対象にしたネイチャーカレッジなどで東日本大震災の被災者への支援を続けていました。2016年10月20日腹膜がんでこの世を去ります。享年77歳でした。

日本人プロ登山家:野口健

講演やテレビ出演などで忙しい野口健さん。有名なプロ登山家、アルピニストの彼の生い立ちと偉業と紹介します。

生い立ち

野口健は、1973年8月21日にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の、日本の外交官である父と、エジプト人の母親の夫婦から生まれた日本人登山家です。幼少期をニューヨークやサウジアラビアで過ごし日本に来たのは4歳の頃でした。亜細亜大学入学後、世界の名だたる山々への挑戦を開始します。

世界最年少登頂に成功

1990年若干16歳であった野口は、モンブランの登頂に成功します。さらに17歳になったときにはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの登頂に成功。1992年9月19歳になった彼はオーストラリア大陸へ渡りコジアスコの登頂に成功します。

んその勢いを買って南米大陸最高峰のアコンカグア、北米大陸最高峰のマッキンリーの登頂に成功。1994年21歳になった彼は南極大陸最高峰であるヴィンソンマシフに挑みます。

そしてロシアのエルブルス、ヒマラヤさん脈のチョオユーの登頂にも成功し、1999年5月エベレストの登頂に成功し、7大陸最高峰登頂の世界最年少記録を樹立しました。

現在

現在ではエベレストのゴミ問題や富士山のゴミ問題など産学の環境問題に力を入れて活動しています。さらに第二次世界大戦中に戦死した方々の御遺骨を収集する活動も併せて行っています。熊本震災の際は、震災被災者達へテントの支援を行っています。さらにプロの登山家として各地で講演やテレビ出演など精力的に活動しています

日本人プロ登山家:青木達哉(ロッククライマー)

出典: https://twitter.com/timmyaoki

プロ登山家であり、有名なロッククライマーでもある青木達哉さん。彼の生い立ちと偉業をご紹介します。

略歴


青木達也は1984年にアメリカ合衆国テキサス州ヒューストン子出身の、祖父はインドネシア人と言うクオーター。日本人プロ登山家でありロッククライマーです。東海大学文学部に在籍中に東海大学体育会山岳部にて、登山を始めました。

世界最年少記録

20歳の時にウイグル自治区にある中国の崑崙山脈の最高峰に初登頂。日そして2006年に11スタイル時に参加した東海大学K2登山隊にて、世界最年少で南南東陵を踏破。これ以降、彼は登山スタイルをアルパインスタイルに変更しています。

2007年にはモンブランの登頂に成功。ロッククライマーとしては2007年にアメリカヨセミテのビックウォールを登攀。また2010年にはマッキンリーのハンター北壁を登攀とロッククライマーとして名声を得ます。

さらに2012年にはヒマラヤ山脈にあるキャシール峰、南ピラーに初登攀します。このときの登攀が評価され、27歳のときに第21回ピオレドール賞及び、アジアピオレドール賞を受賞しました。

現在

山岳ガイドを目指し、夏場は富士山の山小屋「太子館」で山岳ガイドを務めていました。現在は茨木県に在住しつくば市にあるクライミングジムスポーレの店長を務めています。愛称の”Tiimy”で、周りから親しまれています。

日本人プロ登山家:奥田仁一(国際山岳ガイド)

出典: http://www.ici-sports.com/athlete/okuda.html

イモトアヤコのマッターホルン登頂などをサポートして、有名になったプロ登山家であり、国際山岳ガイドでもある奥田仁一さん。彼の生い立ちと偉業をご紹介します。

生い立ち

1966年9月13日に三重県で生まれました。関西大学の山岳部に所属し、その後関西学生山岳連盟委員長を務めています。関西大学卒業後は、同大学の山岳部コーチを務めています。

8,000メートル級の峰を次々と踏破

8,000メートル級の峰を次々と登頂している彼の主な偉業は、1998年カンチェンジュンガの登頂に成功しますが下山中に遭難。凍傷で手足の指を11本に鼻の1部を失ってしまいます。しかしながら翌年1999年ニンチンカンサ登頂成功、チョ・オユー生無酸素で登頂成功するなど輝かしい成績を残します。

以降彼はガイドとして活躍していきます。特に2002年のアイランドピークでは全盲の弁護士を、ガイドし登頂に成功しています。また2012年ではイモトアヤコのマッターホルン登頂、2013年にはマナスル登頂をサポートしています。

日本を代表する国際山岳ガイド

現在では、日本山岳ガイド協会登攀ガイド、国立登山研修所の講師を務め、国内のみならずヒマラヤガイドを務めています。日本を代表する国際山岳ガイドです。

日本人プロ登山家:三浦雄一郎(プロスキーヤー)

世界最年長でのエベレスト登頂に成功し、有名になった三浦雄一郎さん。日本のプロスキーヤーでもある三浦雄一郎さんの偉業をご紹介します

生い立ち

スポーツ一家で有名なのですが、幼い頃は病弱であったそうです。初めてスキーに接したのは小学校2年生。旧制青森中学校在学時にスキー大会で優勝し初タイトルを獲得してます。

また高校時代には全日本スキー選手権大会の各競技で入賞、青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝などの実績を重ねています。スキーがやりたいと言う理由で北海道大学を選びました。

世界最高齢記録

1966年には、スキーで富士山からの直滑降に成功。1970年にはエベレストからの滑降を成功させこれは後に映画化されています。また1985年の54歳の年、アコンカグアからの格好を成功させ、世界7大陸最高峰からの滑空を成功させました。

その後目標を見失い不摂生な生活を続けていましたが、父親の活躍や次男の活躍を見て改心。2003年5月22日に世界最高齢となる70歳7ヶ月でエベレスト登頂を果たしました。また2013年5月23日80歳で再度エベレストの登頂に成功しています。

現在

クラーク国際高等学校校長や全国森林レクリエーション協会会長、次男である三浦豪太と一緒に三浦ドルフィンズを運営し、低酸素トレーニングプログラムを実施しています。

日本人女性登山家:難波康子

出典: http://x47.peps.jp/shi18/free/?cn=54

日本人の女性登山家で2番目となるエベレスト登頂者となり一躍有名になった難波康子さん。彼女の偉業と生い立ちをご紹介します。

生い立ち

1949年2月7日生まれ。東京都大田区大森出身です。早稲田大学在学中に、同好会早稲田大学野歩の会で登山を始めました。卒業後インド連合通信に勤務しますが勤務の傍ら登山を続け、1980年にはモンブランの登頂に成功しています。当時エベレストクラブで知り合った難波健一と1987年に結婚しています。

エベレスト女性登頂者の最年長記録とは

会社勤務の傍ら、1982年にはキリマンジャロ、1,984年にはアコンカグア、1985年にはマッキンリー、1992年にはエルブルス、そして1993年にはヴィンソンマシフの登頂を果たし、6大陸最高峰を制覇しました。

また1996年には47歳でエベレストの登頂を果たし、エベレスト女性登頂者の最年長記録を更新します。しかしながら盗聴後の下山中に猛吹雪にあい、5月11日最終キャンプ地から、わずか300メートル離れた地点で死亡していることが確認されました。

プロの登山家ではない

多くの有名登山家はスポンサーを獲得することで資金を得ていましたが、彼女はすべての費用を自分の収入から賄っていました。また会社勤務を続けキャリアを中断させることなく、自分の収入と休暇だけで世界7大陸最高峰登頂を成し遂げた、極めて珍しいタイプの登山家と言えるでしょう。また彼女の功績は後に映画「エベレスト3D」となっています。

日本人女性登山家:南谷 真鈴

女子大生登山家として有名になった南谷真鈴さん。世界7大陸最高峰制覇として日本人最年少登頂記録保持者でもあります。彼女のプロフィールと偉業をご紹介します。

プロフィール

1996年12月生まれ。神奈川県神奈川市出身です。幼少時はマレーシアや上海、香港など海外で過ごし、東京学芸大附属国際中等教育学校に入学します。その後早稲田大学政治経済学部に入学。在学中に7大陸最高峰を制覇します。

世界7大陸最高峰登頂を達成


2015年1月には南アメリカ大陸最高峰であるアコンカグアの登頂に成功。同年8月にはアフリカ大陸のキリマンジャロの登頂に成功。さらに同年オーストラリア大陸のコジオスコ、その足で南極大陸のヴィンソンマシフへの登頂と、精力的に活動します。さらに2016年1月には南極点を踏破。

さらにはヨーロッパ大陸のエルブルス、そしてエベレストの登頂に成功。さらに7月には北アメリカ大陸のデナリへの登場を成功させ7大陸最高峰を踏破しました。翌年2017年には北極点を踏破し、探検家グランドスラムを達成しました

大のユニクロ好き

ユニクロが大好きで、柳井社長に直談判し作らせた特注のユニクロダウンジャケットを着て微笑む彼女。2016年12月より女性初のユニクログローバルブランドアンバサダーに就任しています。女性登山家、プロ登山家として今後の活躍も期待されます。

日本人プロ登山家:竹内洋岳

世界の8,000メートル級の峰全て登頂し、有名になった竹内洋岳さん。日本人プロ登山家である竹内さんのプロフィールと偉業をご紹介します。

プロフィール

1971年生まれの東京都出身です。祖父の影響で幼い頃から登山とスキーが好きだったようです。立正大山岳部で国内の登山の経験を積み、その後20歳で初めて8,000メートル級の登山(シシャパンマ)に成功しました。

14サミッター

1995年のマカルー遠征隊に参加し、初めて8,000メートル峰の登頂に成功したことを皮切りに、エベレスト、K2、リャンカンカンリなど次々と8,000メートル峰の登頂に成功します。2005年にはエベレスト登頂最中に意識をしない救出されています。

2006年8座目であるカンチェンジュンガの登頂に成功した際、14座完登を宣言してプロ登山家になります。2007年にはガッシャブルムⅡ峰盗聴最中に雪崩に巻き込まれ、重症を負いますが回復し2008年ガッシャブルムⅡ峰の登頂に成功します。

それから四年後、最後の14座目であるダウラギリの登頂に成功。日本人初、世界で29人目の14サミッターとなりました。

現在

酸素ボンベを使わないアルパインスタイルで、次々と8,000メートル峰を制覇し、またGPSを使った公開登頂記録など、さまざまな新しい試みも行っています。2012年には植村直己冒険賞を授与され、文部科学大臣顕彰、スポーツ功労者顕彰を授与されています。

現在は母校である立正大学の客員教授の外、執筆活動や講演、テレビ出演など様々な分野で活躍している日本人のプロ登山家です。

日本人プロ登山家:山野井泰史(ロッククライマー)

出典: http://www.magic-mountain.jp/yamanoi/profile.html

世界最強のロッククライマーと言われる山野井夫妻。テレビ番組などでは特集を組まれるほど有名なプロ登山家、ロッククライマーの夫妻のプロフィールと偉業をご紹介します

プロフィール

1965年東京生まれ。中学3年生の時に日本登攀クラブに入会し、本格的にロッククライミングを始めます。高校に入ってからは谷川岳の一の倉沢を中心にロッククライミングの修行をしていきます。

高校を卒業した後、84年から87年にかけて連続にヨセミテに通い、ハーフドーム北西壁などの単独登頂、ロッククライミングの名声を高めていきます。その後も単独登頂登攀を成功させ国内ではかなり知られているアルパインクライマーとなりました。

その後長尾妙子さんという同じロッククライマーの女性と知り合い結婚しました。

夫婦で挑んだ”白夜の大岸壁”

出典: https://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%B2%A9%E5%A3%81%E3%81%AB%E6%8C%91%E3%82%80-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC-%E5%B1%B1%E9%87%8E%E4%BA%95%E5%A4%AB%E5%A6%BB-DVD-%E5%B1%B1%E9%87%8E%E4%BA%95%E6%B3%B0%E5%8F%B2/dp/B0015KCX1S

単独登頂・登攀が多い山野井さんですが、以前よりヒマラヤに憧れを持っており、1991年ブロードピーク遠征隊に参加します。それまで5,000メートル程度でしか登ったことがなかった彼は、高所での登坂技術を高め、以降はほぼ単独登頂・登攀のアルパインスタイルに特化します。

2000年にはパキスタンのK2を始めとする8,000メートル級の山々の難コースの単独登頂を数々成功させています。夫妻で登攀することも多く、日本人プロ登山家として夫婦揃ってと言うのは珍しいですね。

2008年に放映されたNHKスペシャル『夫婦で挑んだ白夜の大岸壁』で、指のほとんどを失いながらも懸命に登坂していく、ロッククライマー夫婦の姿に感動したことも多いのではないでしょうか。

現在

出典: http://www.magic-mountain.jp/yamanoi/index.html

夫婦ともに、ギャチュンカン北壁の登攀後、嵐と雪崩に巻き込まれ中どの道場にかかり、手足の指10本を切断する重症を負うも、まだ挑戦を続ける生涯現役と言うロッククライマー。

90年代から2,000年代初めまで世界最強のロッククライマーと言われた夫婦です。現在は東京の奥多摩で一緒に暮らしながら、次の挑戦に向けての準備をしている生涯現役のロッククライマーです。

日本人プロ登山家:平山ユージ(フリークライマー)

日本有数のプロのロッククライマーである平山ユージさん。15歳の頃からクライミングを始め数年で世界のトップクライマーの仲間入りをした彼のプロフィールと偉業をご紹介します。

プロフィール

1969年の東京生まれです。東京都立航空工業高等専門学校入学。高専在学中に渡米してロッククライマーとしての武者修行を行い、その2年後にはヨーロッパへと舞台を映して活躍しました。28歳の時にアメリカのヨセミテ渓谷の先100メートル級の岩壁を2日で登攀し、日本人初のワールドカップ総合優勝を成し遂げました。

日本が誇る世界的ロッククライマー

先程の1998年に日本人初のワールドカップ総合優勝した後、2000年には2度目の総合優勝を勝ち取ります。2003年にはアメリカのヨセミテ渓谷エルニーニョのオンサイトトライ。オンサイトとは、登る練習も他の選手の登方も見られない、ロッククライマーにとってそのルートを初めて登ることを言います。

2004年のスペインホワイトゾンビのオンサイトクライミングについては、あまりにも芸術的なクライミングのため、オンサイトでできるわけがないと言うコメントもあったことです。近年では2016年5月瑞牆(みずがき)のボルダーミネルヴァを完登。それまで上ったボルダーの最高グレードを更新しました。

クライミングの楽しさを伝える

現在では埼玉県入間市や東京小竹向原のクライミング施設Basecampで活躍しています。平山さんがプロデュースしたボルダリング施設で、体験クライミングなど初めての方でも楽しめるクライミングジムです。

Base Camp 総合トップ | 平山ユージプロデュースクライミング施設「Base Camp ベースキャンプ」
平山ユージプロデュースクライミング施設「Base Camp ベースキャンプ」

日本人女性登山家:小田桃花(フリークライマー)

女性登山家と言うよりは、女子高生ロッククライマーとして有名になった小田桃花さん。元祖岩ガールとして有名になった彼女のプロフィールと偉業をご紹介します。


プロフィール

1994年山口県生まれ。7歳のときに山口県山岳連盟が開催したクライミング教室に参加したことがきっかけでクライミングを始めました。14歳の時にワールドユース選手権で優勝し頭角を現します。山口県立防府高等学校在学中の2010年5月のワールドカップボルダリング部門オーストリア大会で初出場にて準優勝し一気に有名になりました。

元祖”岩ガール”

山口県立大学国際文化学科在学中の2012年IFSCクライミングワールドカップで世界第3位。同年山口県からメダル栄光及び国体栄誉賞が送られています。2013年には第8回ボルダリングジャパンカップ東京大会で準優勝、ワールドカップリード部門スロベニア大会では優勝と輝かしい成績を残しています。

現在

小田さんが在籍していたこの山大のスポーツクライミング部は、国体でその後も大活躍をしていきます。後に国体で2連覇を成し遂げることになりますち。なみに同じくボルダリングで有名な太田理沙さんは、彼女の後輩にあたります。小田さんはいわゆる『燃え尽き症候群』に悩んだ時期もありましたが、現在では東京オリンピックに向けて活動しています。

日本人女性登山家:大田理裟(フリークライマー)

女性登山家と言うよりはボルダリングフリークライマーとして有名な大田理裟さん。そんな彼女のプロフィールと偉業をご紹介します。

プロフィール

1993年の山口県山口市生まれ。先ほど紹介した小田さんと同じ、山口県立大学のスポーツクライミング部に所属していました。彼女の父親は高校の山岳部の顧問を務めており、太田さんも自然に登山と触れ合っていたようです。

初めてクライミングに出会ったのは中学校2年生の時。高校に入った彼女はジェイOCジュニアオリンピックを4連覇するなど圧倒的な実力を見せていました。

ボルダリング競技者の憧れの的

大学に入ってからの彼女の活躍は目覚ましいものがあります。山岳競技リード部門女子の部で国体2連覇を達成します。握力は27キロと平均女性の握力とさほど変わりません。身長も161センチと特に大柄と言うわけでもない彼女。

ですが2014年IFSCクライミングアジア選手権では世界ランキング2位、2015年中国では世界ランキング3位の成績です。東京オリンピックの活躍が期待されます

現在

現在は、テレビや雑誌の取材、地元NHK山口放送局の明治150年記念キャンペーン「My ISHIN」に出演されたりと忙しい毎日を送っているようです。東京オリンピックではボルダリング競技での活躍が期待されますね。

日本人登山家:近藤謙司(国際山岳ガイド))

出典: https://twitter.com/kenken8848

日本のプロ登山家であり、有名な国際山岳ガイドでもありながら会社経営とマルチナ活躍をする近藤謙司さん。彼のプロフィールと活躍をご紹介します。

プロフィール

1962年東京生まれ。東京都立淵江高等学校在学中に山岳部に入部しました。本当は音楽をやりたかったようです。高校2年生の時に国際山岳ガイドである根岸知さんと知り合ったことがきっかけで、国際山岳ガイドを目指します。

また根岸さんを通じて1983年今井通子さん率いるエベレスト隊に、荷物持ちで参加します。これがきっかけで今井さんのオフィスで働くことになりました。日本にガイド協会ができ国際連盟が参画するときに正式に国際山岳ガイドになっています。1998年に登山ツアーの企画会社であるアドベンチャーガイズを設立しました。

お客さんと一緒に登頂の喜びを味わいたい

出典: https://adventure-guides.co.jp/bc/post-1834.html

8,000メートル級の山を次々と制覇しているのですが彼の仕事はあくまでも国際山岳ガイド。お客さんと一緒に登頂の喜びを味わいたいと言う気持ちからスタートしています。つまりお客様を山頂まで連れて行くのが国際山岳ガイドの仕事です。

国際山岳ガイドの仕事をベースに講演、TV出演や執筆、教育活動など自然や山岳スポーツを対象としたイベントの企画運営を行っています。日本で一番有名な国際山岳ガイドです。

最後に

いかがでしたでしょうか。世界で活躍する日本人の有名なプロ登山家やロッククライマー、国際山岳ガイドの方々をご紹介しました。単独登頂記録や最年少記録、そして最高齢記録と輝かしい記録を持つ方々ばかりです。東京オリンピックではボルダリング競技も始まります。日本人の活躍が期待されるところです。