大峯奥駈道とは日本有数の修験道の聖地
日本各地に修験道は存在するとは言え、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』が登録されて以降、知名度では1番手に上がって来ているのが大峯奥駈道です。選ばれた理由には、出発点から終点まで、長距離のなかには数々の歴史ある名所、昔から変わらぬ大自然の絶景があります。まずは簡単に大峯奥駈道の縦走ルートの概要を見ていきましょう。
奈良吉野山と和歌山熊野三山を結ぶ90km
北は奈良県の吉野山中から、南は和歌山県の熊野三山まで、大峯奥駈道は距離にして90キロもあります。しかも標高1,000メートルを超える山々を縫って縦走するので、旅路は完全に登山そのものです。地図を見ながら進み、宿泊所やテントを使用して完全踏破する人、バスを駆使して途中の短いルートだけを縦走する人など様々です。
大峯奥駈道の歴史をかんたんに把握する
大峯奥駈道を開いたのは、8世紀の修験道の開祖として知られる役行者です。靡(なびき)と呼ばれる修行場が、1番から75番まで存在していますが、それらの位置や距離は長い歴史の間に決定したものです。江戸時代以降は南奥駈道のルートは荒廃し忘れ去られましたが、1980年以降に地元の山岳団体の尽力により、元の姿が取り戻されました。
大峯奥駈道を縦走するための必須装備
これから大峯奥駈道の長距離を縦走するなら、絶対に必要な装備があります。用意しないで行くと、登山することや宿泊する時に難易度を高めてしまうでしょう。バックパックに入れる荷物、小屋で使う寝袋、テントなどの道具は使いやすさと軽量を意識しつつ、地図など必須なものを用意するのが重要になります。
道中を歩くための必須な衣服の装備
ふもとの気温が30度を超える真夏でも、大峯奥駈道のルートの気温は20度台で推移します。夏は長袖ジャケットが必須です。また、冬や春の季節は寒さが際立つため、厚手の防寒ジャケット、ブルゾン、レインウェア等が必要です。山の気候は変わりやすいため、雨を考慮すれば撥水性の高さが重要で、フード付きを選んだり帽子も用意したいところです。勿論昔ながらの修験者の格好をすることもできます。
足元対策で用意したい靴とトレッキングポール
大峯奥駈道はアスファルトで固められた路面は殆どなく、岩山あり、ぬかるみあり、雪道ありと常に足元がおぼつかない状態です。靴は一般的なランニングシューズでは無理で、夏なら防水性のあるトレッキングシューズ、冬や春は防水性の高く、膝下までを覆う登山用ブーツなども推奨されます。また、トレッキングポールを持っていることで、縦走中の体勢を維持しやすくなります。
宿泊は宿で寝袋か山中でテントを使う
大峯奥駈道には柳の宿を始めとして、道中に全18の山小屋や宿坊が置かれています。いずれの小屋もホテルや旅館とは程遠く、ストーブ、炊事場、トイレは使えますが、布団もない簡素な山小屋です。宿泊に最低限で必要なのは寝袋、シート、冬ならブランケットなどです。テントを張る場合、小屋の近くやテント場などを利用できますが、山中のどこでも宿泊できるのはテントの強みです。
必要な量の食糧を確保する
大峯奥駈道の道中には時々茶屋があるとは言っても、茶屋意外で食糧を確保することが難しくなります。バックパックに用意する登山食は、軽量、小型、保存が効く、カロリーが高めなものを意識して選びます。乾燥食品、レトルト食品、粉のスープ、栄養サプリなど、縦走する日数に合わせて用意するのがベストです。
吉野から出発する逆峯の出発点までのアクセス
古来より大峯奥駈道では、吉野から熊野へ向かう逆峯(ぎゃくふ)、熊野から吉野へ向かう順峯(じゅんぷ)の2つの方法がありました。近年になってからは吉野からの逆峯から修行に向かうのが一般的ですが、順峯で踏破する人もいます。また、路線バスで途中から歩き出したり帰路に付くこともできるでしょう。ここでは地図を見ながら、逆峯と順峯の出発点までのアクセスについてお知らせします。
逆峯の吉野の出発地点までのアクセスを知ろう
吉野からの逆峯の出発点は、大峯奥駈道の靡の一番最後、第75番柳の宿です。地図で見ると奈良県吉野郡大淀町北六田、吉野川に面した伊勢街道(国道169号線)の「柳の渡し」が出発点。柳の木と石塔が目印です。近鉄吉野線で近くの六田(むだ)駅までやって来て縦走を開始します。車の場合は吉野山の下千本駐車場を無料で利用できますが、春の時期は使えません。
順峯の熊野本宮大社までのアクセスを知ろう
靡の1番である熊野本宮大社は、地図で見ると和歌山県田辺市本宮町に所在しています。ここは新宮川に寄り添う国道168号線沿いで、門前町は商店も多く人で賑わっています。紀勢本線の紀伊田辺駅や朝来駅からバスで熊野本宮大社前に降り立ってから、大峯奥駈道の修行へと入ります。2番熊野速玉大社と3番熊野那智大社は抜かして、4番の吹越山から入っていくのも通常です。
1・吉野柳の宿からの逆峯で縦走を始めよう
ここでは正当な道とされる逆峯のルートについてお伝えします。第75番柳の宿を出立したら、県道15号などを伝って、南方の吉野山へと向かいます。吉野山は参拝客も商店も多いため、ここで必要な食糧などの確保もすることができます。
吉野山は険しい修行前の天国
大峯奥駈道の最初の見どころである吉野山は、役行者が開いた聖地として、また桜の名所としても有名です。金剛峯寺では国宝である仁王門、本堂と蔵王権現を拝んだり、険しい縦走前に美味しい食事を楽しんだりと、まさに天国のようなひとときが過ごせます。
吉野山を過ぎれば険しい道へと突入する
天国みたいな吉野山を出れば、そこからは歯を食いしばり自力で進むしかない試練の道。水分(みまくり)神社、金峯神社など古来よりの歴史を感じつつ本格的な登山となるのが、標高1,694メートルの山上ヶ岳(さんじょうがたけ)です。女人禁制の道があるので、女性は間違えないようにしてください。登山はまだ始まりに過ぎないですが、山々の景色は感動の一言です。
2・八経ヶ岳に至る大峯奥駈道の特徴
大峯奥駈道を進むにつれ、標高も高く山々は険しさを増して行くでしょう。しかし道中は山上からの景色が素晴らしく、役行者の歴史を感じる名所が存在します。大峯奥駈道の主要な中継地点である、八経ヶ岳までの縦走ルートの特徴を見てみましょう。
大普賢岳の絶景と修験道の岩窟
大峯奥駈道の大普賢岳は、標高1,780メートル。道中を代表する高い山で、山頂からの眺めも格別なものがあります。ここは昔から修験道の行場であり、いまも笙ノ窟、指弾ノ窟、笙ノ窟などの信仰の岩窟を多数見ることができます。斜面に鎖の道やはしごの道が多くなり、危険度が増すのも特徴です。洞辻茶屋、山上宿坊と、来訪者には嬉しい休憩施設があります。
役行者が一度引き返したという行者還
稚児泊、七曜岳を過ぎれば、標高1,546メートルの行者還です。この山はその険しさから役行者も1度引き返したとの伝説が残ります。大普賢岳からの距離は時間にすれば4時間ほどです。山頂の近くに行者還小屋があり、すぐ近くを通る国道309号線からの登山者も多く見られます。
八経ヶ岳は枯死した木々が幻想的な絶景
尾根の靡を超えて古今宿をすぎれば、51番の八経ヶ岳です。枯死した木々が幻想的に映ることから、大峯奥駈道の中でも屈指の記憶に残る場所です。最高峰となる1,914メートルの山であり、かつて役行者がこの場所に法華経八巻を埋納したことが、八経ヶ岳の名の由来です。
3・釈迦ヶ岳に至る大峯奥駈道中盤ルートの特徴
八経ヶ岳のあたりから釈迦ヶ岳を過ぎる付近までは、靡の番号から言えば大峯奥駈道の中盤ルートと位置づけることができますが、地図を見ればまだ前半を終えてはいません。道中の見逃せない伝説の名所や休憩ポイント、そして縦走で気をつけたいポイントなども見ていきましょう。
菊の窟は修験道1,300年の歴史を感じる
明星ヶ岳を過ぎた第49番目の菊の窟は、1,300年の修験道の発祥の地と言われている場所です。遥拝所には昔から置かれたであろう木札が山になっている様子も見られます。菊の窟の周辺は切り立った崖になっているので、やはりトレッキングポールは持っていて良かったと実感できるはずです。
孔雀岳で見られる五百羅漢の姿
大峯奥駈道は縦走中に絶景が続くわけですが、中でも見どころの1つとされるのが、第42番の孔雀岳の五百羅漢です。孔雀岳の斜面に無数に立ち並んでいる天然の縦長の大岩が、まるで仏教の五百羅漢像かのように見えることからこの名があります。
釈迦如来像が出迎えてくれる釈迦ヶ岳
第40番目の靡である釈迦ヶ岳は、標高1,800メートル。日本二百名山の1つであり、大峯奥駈道を代表する主峰です。山頂には黒光りする釈迦如来像があるのですが、この像は大正13年、巨体で剛力で知られた鬼マサこと岡田雅行氏が道を作りながらここまで担ぎ上げたとの話です。釈迦如来を見たら、鬼マサのことを思い出してください。
4・後半戦玉置山に至るルート
大峯奥駈道も中盤を過ぎて後半へと向かいますが、最初の柳の宿からあるきだして釈迦ヶ岳を過ぎていれば、距離にして半分も縦走しています。途中の第17の槍ヶ岳に至るまでの、見るべき、立ち寄るべき名所についても知っておいてください。
千手岳の二つ岩は不動明王の眷属だった
大日岳を過ぎると同じ尾根の千手岳と、このあたりは仏教の菩薩の名を冠する山だらけです。千手岳を僅かに進むと、二つ岩という高さ8メートルの石の柱を目にできます。不動明王の眷属で、片方は矜羯羅童子(こんがらどうじ)もう片方は制多迦童子(せいたかどうじ)」という呼び名があり、別名を両童子岩ともいわれます。
大峯奥駈道のオアシス前鬼三重滝
大峯奥駈道の尾根から降りた先に、前鬼三重滝という名所が存在します。北山川の上流部にあたり、この流れが熊野三山の付近で新宮川と合流します。三重滝は季節によって水量に差がありますが、滝の姿で心が洗われる思いがしそうです。この近くに迫力ある前鬼不動七重滝も存在します。この先の涅槃岳を過ぎれば、テントにも適した持経宿、平治宿、怒田宿の小屋が続きます。
5・終盤吹越山までの大峯奥駈道縦走ルート
もう槍ヶ岳まで来れば、地図を見ながらゴールの熊野のことも考えたくなる頃です。これ以降は山々の標高も低くなり、修行の道も下り坂が多くなるので、後押しされる思いがします。熊野三山の手前の吹越山までの区間では、どんな見るべき名所があるのでしょうか。
樹齢3,000年の杉の巨樹が見られる玉置山
吉野郡十津川村の玉置山は、標高1,076メートル、別名を無漏岳(むろだけ)ともいう、大峯奥駈道の逆峯では終盤の靡です。山上からは太平洋の熊野灘を望めるために、別名を舟見岳とも呼ばれました。山頂の玉置神社境内は県の天然記念物指定の杉の巨樹群で知られ、樹齢3,000年の神世杉などが注目です。
五大尊岳と金剛多和の石像
岸の宿を過ぎてすぐの第7番目五大尊岳には不動明王の石像があり、また第6番の金剛多和では、修験道の開祖である役行者と護世童子を祀っている石の祠があります。山上からは北山川や新宮川が蛇行している様子も見られるなど、景色にも変化が出てくるところです。
6・大峯奥駈道の最終章熊野三山の名所
標高1,000メートル級の険し過ぎた修行の登山は終わりを告げて、残されたのは熊野三山です。熊野三山全てを回ると距離的に大幅に大変ですが、一般的には熊野本宮大社だけを訪れて、第3の熊野速玉大社、第2の熊野那智大社は省略する傾向にあります。大峯奥駈道の最後を飾る重要な熊野三山の特徴をご紹介します。
熊野速玉大社で街の喧騒が取り戻される
新宮川のほとりを歩いて熊野灘も近づく新宮市に所在するのが、第3番目の熊野速玉大社。ここは景行天皇の頃に建てられたといいます。賑やかな門前町があり、宿泊は小屋でもなく旅館に泊まったり、御食事処で楽しむこともできますが、ここを大峯奥駈道の一先ずのゴール地点とする人も多く見られます。
那智の滝で心が洗われる熊野那智大社
太平洋沿いの熊野街道から川伝いに向かうと、那智勝浦町の熊野那智大社にたどり着きます。ここは大峯奥駈道では第2番目として位置づけられる、仁徳天皇の頃の神社で、熊野夫須美大神を主祭神とします。那智の滝と三重塔の景色は知らない人はいないほど有名で、那智の火祭りの舞台にもなります。ここをゴールと設定するには、やや距離を足す必要がありそうです。
最後に訪れるは熊野信仰の総本山熊野本宮大社
記紀神話のなかで、神武天皇を導いた八咫烏の旗印で知られているのが、熊野本宮大社。大峯奥駈道の第1番であり、最後の靡として位置づけられています。本殿の祭神は家津美御子大神といい、崇神天皇の時代に創建されたと伝わります。この神社を大峯奥駈道のゴールに設定する人が、もっとも多く見られます。
吉野から熊野に至る縦走は人生を見つめ直す修行に
世界遺産、大峯奥駈道の縦走ルートを知ってみて、如何だったですか?地図を見ながら長い距離を歩く時の格好は大切であり、小屋に宿泊するか、テントを使って宿泊する手段も存在しました。役行者の開いた修験道は険しく、まさにこの道は人生の修行であると実感できるはずです。縦走することは自然や文化で楽しむことでもあり、人生を見つめ直すことにも繋がります。ぜひ大峯奥駈道にチャレンジしてみてください。