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伝説のバスプロ「林 圭一」特集!多くのファンから愛されたその伝説とは?

今回は56歳という若さで、多くのバスフィッシング愛好家から惜しまれながら亡くなられた林 圭一さんの多くのファンから愛された魅力や伝説についてご紹介致します。バスプロとして活躍し、株式会社ケイテックを設立した林 圭一さんの人生を紐解いていきます。
2020年8月27日
kentea
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目次

伝説のバスプロ「林 圭一」特集!

今回は、あの伝説のバスプロ「林 圭一」さんについての特集です! バスフィッシングをしてる方々は、よくご存じの方も多いのではないでしょうか? しかしながら、まだバスフィッシングをしたことがない、バスプロって何?という方も多いと思いますので、 次の項目では簡単にバスプロについてご説明させていただきたいと思います。

バスプロ

バスフィッシング

まずは、バスフィッシングについて簡単にご説明させていただきます。 バスフィッシングとは、そのままブラックバスを対象とした釣りの事を指します。 ルアー(擬似餌)釣りで、バスフィッシングはゲーム性の高さが最大の魅力です! その日の環境条件から釣り場所を考えることの面白さや、ブラックバスの力強い引きが多くの釣り人を魅了しています。

バスプロ

続いて、「バスプロ」とは何ぞや?という方々のために、バスプロについてご説明いたします。 これも言葉の通りですが、バスフィッシングをプロとしてやっている方々のことをこのように言います。 ここでのプロとは、団体に所属し、大会での高額賞金やスポンサー契約料、出版などで生計を立てている方々を指します。 バスフィッシングは、多くの大会が開かれています。この大会は国内だけでなく、海外でも多く開催されており、特に本場のアメリカではプロゴルフ並みの高額賞金が支払われる大会もあり、アメリカではプロスポーツとして認知されています 日本国内では、なかなかバスフィッシングだけで生計を立てられる人は少なく、海外で活躍する日本人も多くいます。

林 圭一について


林 圭一の人生

林 圭一さんは、1959年に東京都に生まれました。小さい頃から釣りが好きで、様々な釣りを経験していました。しかし、大学に入学したと同時に、バスフィッシングの虜になっていきます。そして、大学卒業後は、釣具とアウトドア用品の企画、輸入、販売を行う株式会社ティムコに入社します。入社後は、社員として、働きながらトーナメントでも活躍し、バスフィッシングの裾野の拡大やバス釣りをする人たちの育成にも貢献しました。その後、株式会社ティムコを退社し、株式会社ケイテックを設立します。ケイテックでは紆余曲折もありましたが、海外での評価も高まり、これからという時期に56歳の若さで亡くなられてしまいました。

林 圭一とバスフィッシング

林 圭一とバスフィッシングの関係

林 圭一さんは、日本のバスフィッシングの黎明期から活躍、貢献をしてきたお方です。林さんのバスフィッシングは緻密に計算された戦略に基づくもので、多くのバスフィッシング愛好家が林さんの戦略を真似て、勉強してきたことと思います。 それだけに、バスフィッシング業界では誰しもが知る方であり、株式会社ケイテックの立ち上げ後も多くのバスフィッシング愛好家から尊敬の眼差しを送られていました。

林 圭一とケイテック

林 圭一とケイテックの成長

1996年に林 圭一さんは、株式会社ケイテックを立ち上げました。会社の設立当初は、カスタムリーチ、カスタムトレーラー、リトルスパイダーなどを送り出し、ケイテックは順調に良いスタートを切ることができました。


バイオミックシリーズの挫折

その後、2002~3年頃に日本の自然環境を考え、生分解ワームの開発を始めました。1年以上の時間を費やし、「BIO-MIX(バイオミックス)」シリーズとして生分解ワームは発売されました。しかし、多くのバスフィッシング愛好家から尊敬される林 圭一さんの環境に優しい、我々がいつも釣りをさせていただいている環境への配慮の気持ちはバスフィッシング愛好家に受け入れてもらうことはできず、バイオミックスシリーズは廃盤となり、会社の業績も一時不振に陥ることになりました。

失敗をバネに新たな躍進

ただ、林 圭一さんは、後にこの失敗を好意的に受け止めていると語っています。これらの生分解ワームに挑戦した経験が、その後に開発された樹脂タングステン素材のジグヘッドやラバージグ、ワームに繋がっているのです。 このように紆余曲折を経験しながらも、失敗をバネに新たなものを楽しみながら開発したことで、日本だけでなく海外でもケイテックの商品は評価されるようになりました。特にバスフィッシングの本場であるアメリカでは、日本以上の高い評価を受けており、どんどん業績を伸ばしていました。 そして、まさにこれからというときに林 圭一さんは56歳という若さで、多くの人々に惜しまれながら人生の幕を下ろされました。

林 圭一が愛された伝説

多くのバスフィッシング愛好家から愛され、尊敬された林 圭一さんですが、多くの人々を魅了した彼の魅力と伝説について、最後にお話したいと思います。

人間性


まずは、林 圭一さんの人間性に多くの人々は魅了されたと思います。 林 圭一さんのバスフィッシングが好きで、より大きな目標に立ち向かうために緻密に戦略を考える姿に多くの人は、尊敬し、自分もいつか林 圭一さんのようなバスプロになりたいと思ったと思います。 林 圭一さんは、自然に配慮した生分解ワームの開発をするなど、ただ釣りをするだけでなく、釣りをさせてもらえる環境への感謝の気持ちも常に忘れることがありませんでした。商品としては、消費者に受け入れてもらえませんでしたが、その気持ちの部分は多くのバスフィッシング愛好家も強く影響されたのではと思います。 林 圭一さんはケイテックの公式サイトで「林 圭一の週間コラム」を毎週金曜日に更新していました。林さんの言葉で、ルアーへの思いが語られており、そういった林さんのバスフィッシングの裾野をさらに広めていこうとする姿勢は、多くの若いバスフィッシング愛好家の憧れでもありました。 このような、林さんの人柄や人間性は多くの人々を魅了した魅力の1つだと思います。

バスプロとしての魅力

林 圭一さんのバスプロとしての魅力は、やはり大きなブラックバスを釣るための緻密に練られた戦略でしょう。 林 圭一さんの緻密な戦略を真似て、勉強したバスフィッシング愛好家のみなさんは、バスフィッシングの面白さに改めて気づかされた方も多いのではないでしょうか?林 圭一さんのバスフィッシングの戦略は、我々のお手本となり、一段上のバスフィッシングの面白さを伝えてくたようにも感じます。そういった、バスプロとして技術を伝えること、バスフィッシングの面白さを伝え、裾野を広げていったことは、いまのバスフィッシング業界へ大きな貢献をしたのではないかと思います。 バスプロとして、自分が釣るだけでなく、バスフィッシングの面白さを伝えていったこと、伝えることができたことは、林 圭一さんがバスプロとして、とても魅力的だったからこそできたことであると思います。

まとめ

伝説のバスプロ「林 圭一」特集はいかがだったでしょうか? 林 圭一さんは若いころから、釣りが好きで、大学に入学すると同時にバスフィッシングの虜になっていきました。大学卒業後は、会社で働きながら、トーナメントでも活躍し、その後、株式会社ケテックを設立しました。 ケイテックでは、紆余曲折ありましたが、世界に認められる企業へとなっていきました。 林 圭一さんの人生は、とても魅力的で、多くのバスフィッシング愛好家やそうでないひとにも、その一端を知っていただけるきっかけに本記事がなれば幸いです。 多くの釣り人を魅了し、尊敬と憧れの存在だった林 圭一さんですが、若くして亡くなられてしまわれたことは、とても悔やまれます。これから、林 圭一さんの遺志を継ぐバスプロの方々が多く出てきたら、バスフィッシングの裾野を広げてきた林 圭一さんにとっても嬉しいのではないでしょうか? 最後に、林 圭一さんのご冥福をお祈り申し上げます。