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香港に存在したスラム街「九龍城砦」がヤバかった!取り壊された跡地の状況は?

世界各地にさまざまな風景が存在していますが、九龍城砦という建物はご存知ですか?有名なスラム街として有名な地区ですが、ここは他の地域と一味違います。現在九龍城砦は取り壊しされているためその現状を目にすることはできませんが、驚きの風景をその目に焼き付けてください!
更新: 2021年3月4日
Nov
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香港の九龍城砦の謎に迫る!

九龍城砦を徹底解説!

かつて香港にあった九龍城砦(くーろんじょうさい)と呼ばれる建物はご存知でしょうか。このワードだけを見ると中国の観光地のような響きがありますが、実はとんでもない風景が広がるヤバい地域でした。

現在は取り壊しされているため、生で見ることはできませんが、写真から伝わる圧巻の建物を体感してみてください。スラム街といえば荒んだ風景を思い浮かべますが、今回の様相は他の地域と一味違います。

マニアにはたまらない?

スラムや廃墟などを好きなマニアが存在しますが、今回のスラム街はそういったマニア必見の建物となっております。今回の建物は廃墟とは異なるものの、度重なる改築と増築により非日常的な風景が広がっています。

また、生活感のある風景も存在しており、映画でオマージュされる程インパクトのある場所です。壮絶な建物とは裏腹に歴史的な背景もあるため、ロマンあふれる場所ともいえます。

映画の題材にも

映画のイメージとして使われたこともあり、有名なものでは「ブレードランナー」や「攻殻機動隊」などのイメージにも使われています。

スラム街ではあるものの、非現実的な風景や、どことなく近未来を匂わすイメージもあるため、魅力あふれる光景の数々となっています。今回挙げる写真の数々はCGでもイラストでもありませんので、しっかりと目に焼き付けておいてください!

九龍城砦の謎に迫る1:九龍城砦とは?

九龍城砦ってなに?

漢字の字面から察する通り、香港の九龍半島に位置していた建物です。時代は中国の宋時代が始まりで、半島であることから海からの攻撃が多く、それらの脅威から守るべく立てられたという歴史があります。

歴史的背景は後にご説明しますが、元々は軍事的な基地として香港を守っていました。壮大な建物になったのは数100年後で、その間にはさまざまな戦争や国家問題が絡むことになります。

どうヤバかった?

現在の中国になると同時に移住者が現れ、人口の増加に伴って建物の増築が進んでいきました。法律に則った改築や増築であれば問題ないものの、無造作に建築が行われたため、法律を無視したいつ壊れてもおかしくない建物へと変貌を遂げていきました。

また、閉鎖された空間であるためその他の法律も無視され、いわゆる「やりたい放題」な環境がまかり通っている地区でした。

九龍城砦の謎に迫る2:場所

九龍城砦の場所

場所は香港の九龍半島にある「九龍城地区」と呼ばれる地域に存在しており、現在は中国の領土となっております。度重なる戦争から中国領以外にもイギリス領や日本領になったこともあり、長い歴史の間で複雑な状況であったことが伺えます。

しかし、他国の統治下になった時にも中国領として扱われており、長年法による規制を受けなかった曰くつきの場所でした。

現在は取り壊しされた


長い期間香港の半島内に佇んでいた建築物でしたが、現在は見る影もありません。なかなか政府の目が行き届かなかった地区ではあったものの、周辺に住居やアパートを建てて移住させるという政策で、最終的に取り壊しまでこぎ着けたようです。

しかし、取り壊しする当時は内部の住民からの反対も多く、工事に着手するまでさまざまな問題が起こりました。

九龍城砦の謎に迫る3:歴史

始まりは軍事施設

歴史は宋時代からはじまり、先ほど説明したように香港は海に面していることから海賊などの外敵から襲われるという被害がありました。そこで敵から九龍半島を守るべく、防衛施設として半島内に建設されました。始めからスラム街だったわけではなく、建造された当時はしっかりとした軍事基地としての役割を持っていました。

香港はイギリスのものだった

中国(清国時代)とイギリスの間で勃発したアヘン戦争やアロー戦争の後にイギリス領になっていましたが、両国間の条約の関係から統治が難しく、例外的な場所として扱われていました。香港がイギリスの租借地ではあったものの、九龍半島の九龍城砦だけは清国が管理するという、何とも曖昧な場所となっていました。

イギリス領なのに中国のもの?

九龍半島もイギリスの管轄下でしたが、九龍城砦だけは条約に従って清国の管理下に置かれていました。九龍城砦は飛び地(領土内から分離した区域)となっており、イギリス領内の中に清国の区域があるという状態でした。

イギリス・清の両国から管理を受けにくい状況から、後に難民などが移住するきっかけにもなり、スラム街が形成されることになりました。

スラム街の発生

中華人民共和国が樹立した際に、住処を追われた難民たちがこの地へと移住を始め、後に大きなスラム街を形成することになりました。

国の管理を受けにくい状況は難民たちにとっても都合がよく、中国各地の人たちが集まることになりました。後にこの地域に約5万人もの人が住むことになり、1畳に対して3人もの人が住んでいるという密度まで成長しました。

九龍城砦の謎に迫る4:スラム街?

まさに無法地帯

無法地帯たる所以は、政府などが介入しにくい場所であったということでした。政府の介入が難しいことから内部の状態は自由状態で、さまざまな問題や犯罪が起きていたようです。

しかし、住民の中には自警団や医者なども存在していたようで、ある程度の治安やルールが存在していたようです。スラム街といえど、子供も大勢いたようなので、危険すぎる場所ではなかったそうです。

違法のオンパレード

医者になるためやお店を出すのには何かしらの免許が必要ですが、内部の人々の中には免許を持たずして開業している人も多かったそうです。

また、麻薬の取引や賭博も行われていたようで、違法行為が大量に行われていたといわれています。しかし、ルール無用だったものの安全な場所もあったようで、元気に過ごしている住民も大勢いたという情報もあります。

劣悪な衛生状態


医療環境や水道環境が十分に整っていなかったことから、病気なども蔓延していたようで、衛生状態が良いとはいえませんでした。食品衛生や薬品についてもしっかりしているともいえず、時として深刻な病が流行することもあったそうです。

スラム街と聞くと優秀な町医者や技術者が現れるイメージがあるかもしれませんが、時として内部の状況が深刻化することもありました。

九龍城砦の謎に迫る5:内部

建築のルールを無視!

工事や建築の法律に関してはほぼ無視されており、近隣に空港があるものの、建物の高さ制限がギリギリであったといわれています。また、無理な増築も行われていたため内部には鉄骨や壁が至る所にあったようです。また、全体の面積はそう広くなかったものの、人口密度に関してはおよそ190万人/㎢ という高密度になっていたそうです。

お店や学校もあった

違法なスラム街のイメージがありますが、内部には学校やさまざまなお店があったようです。内部には子供からお年寄りの方まで存在していたため、教育や介護関連の施設もありました。

スラム街といえど人間の生活する場所なので、意外にも治安が保たれていて快適な空間も用意されていたそうです。時として窃盗や殺人もあったようですが、子供やお年寄りの方でも暮らしていける環境だったといわれています。

意外にロマンある風景?

映画やアニメーションにもインスパイアされるように、九龍城砦の風景にロマンを感じる方も存在しています。

スラム街のイメージはいいものではありませんが、一つの世界が繰り広げられていることから、建物の様子や生活感は新鮮であるといえます。現在その様子を確認することができませんが、写真だけでもスラム街のロマンを感じることができます。

九龍城砦の謎に迫る6:無法地帯

法の取り締まりができない

先ほど説明したように、政府や警察の介入が難しく、犯罪などが横行していたといわれています。しかし、全く取り締まられなかったわけではなく、九龍城砦の自警団によって治安は維持されていたようです。スラム街だからといって映画のような「やるかやられるか」という状況ではなく、弱い人たちを守る味方が結成されていたようです。

一度入ると出られない

「一度入ると出られない城砦」としても知られていたようで、内部の複雑具合を伺うことができます。度重なる増築によって混沌とした風景が広がり、景色を覚えることはおろか、元の場所に戻ることさえ難しかったそうです。このことから、ビデオゲームに出てくる迷路のようなイメージも九龍城砦の魅力の一つとして考えられます。

九龍城砦の謎に迫る7:取り壊し

とうとう取り壊しに

1993年~1994年にかけて取り壊し工事が行われ、現在は見る影もなくなっています。数100年にものぼる長い歴史でしたが、違法性や危険性から1年もの時間を掛けて取り壊しという結果になりました。跡地には住宅街や公園が建てられており、住人たちは近隣に用意されたアパートなど移住したといわれています。


あまりに危険な建物

日本でも時折違法建築のニュースなどを耳にしますが、この城砦の建築具合はそれらのニュースとはレベルが違います。原則的に、建築物は法律に則って工事する必要があり、建物の規格や強度を守らなければ建築することができません。

しかしこの地においては建築の法律など関係なく、必要に応じた建設を行っていたため、いつ壊れてもおかしくないような状況であったともいわれています。

九龍城砦の謎に迫る8:現在の状態

商店街や住宅に

現在はかつての壮大さが嘘だったかのような風景が並んでおり、旧城砦近辺には平和な空気が漂っているようです。中には観光に訪れる人もおり、跡地には商店街なども設けられています。跡地には歴史資料館もあるため、当時の生活環境や建物の雰囲気を味わいたい方は、香港観光の一環で九龍半島を訪れてみるのもおすすめです。

跡地には九龍城砦公園が

九龍城砦の跡地には九龍城砦公園なるものも建てられており、観光客や地元の方々が訪れるスポットとなっているようです。

また、九龍城砦の跡地から発見された道具などは公園内の資料館にて保管されているようなので、興味がある方は観光目的で足を運んでみる価値もあります。現地の公園はスラム街時代とはうって変わり、地元の人々からも愛される地域になっています。

まとめ

観光に行ってみては?

歴史ある城砦ですが、現在は安全に観光できるおすすめスポットです。しかし、当時の風景を確認することはできないので、跡地に建てられた城砦公園にて雰囲気を味わってみましょう。

また、危険な地域などに憧れがある方も時折いますが、中には非常に危険な場所もあるので、どうしても訪問したい方は安全を確保してから観光するようにしてください。

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世界には九龍半島意外にもさまざまな歴史ある場所が存在しています。中には比較的安全な場所もあるので、海外のロマンを追い求めてみてはいかがでしょうか?